10月26日に100歳で亡くなった祖母のことを記しています。
四十九日が終わったタイミングでUp予定が、
なかなか進まず、年の瀬になってしまいました。
文章能力に長けていた祖母に怒られそうです。
あくまで自分の中の記録です。
葬儀の詳細も書いているので、ちょっと・・・という方はスルーしてください。
★★★
10月26日午後1時45分、母からLINEが入りました。
「今、亡くなったって連絡がありました」
私はその時、なかのZEROホールの舞台袖でした。
午後2時から始まるイベントの司会のために控えていました。
来るときが来た。祖母はこの世を去った。
一瞬時が止まったような感覚になりましたが、すぐに現実が戻りました。
今は仕事中。
母には「お母さん、気をしっかりね。私も本番頑張る」と急いで返信をして、
アナウンス業務に入りました。
やはり不思議と「おばあちゃーん、ううっ」という号泣みたいな感覚はなく、
それが「私は冷血なのか?」という自問自答になり、
悲しくないわけはなく、でも、やはり、それだけの時間を離れて生活していて、
この3年間一緒に会話も叶わなくて、会っても無表情で、コロナ禍でそもそも会えなくなって、
でも、本当に今度こそお別れ。
通夜と告別式をそれぞれ行うのではなく「一日葬」という形をとることになりました。
これも、もうそろそろそういう日が来ると分かっていたからこそ、
両親も準備を進めることができていました。
家族葬は初めての体験です。
父、母、私、夫、弟、義妹、姪1、甥1、姪2、甥2、妹、義弟、姪3、伯父1、伯母1、伯父2、伯母2、従伯母。
参列は総勢18人。
祖母の遺影は私のスマホの中に納まっていた写真になりました。
まだ祖母が家にいて、会話もできていたころ、
自分が作った俳句を短冊にしたためてもらった記念写真。
穏やかな笑顔で、これが一番いいと推して、最終的に両親に決めてもらいました。
今回のお坊さんは、抜群に良かったです。
お経をあげる際にちゃんと説明をしてくれました。
そして何より嬉しかったのは、祖母に語り掛けてくれていたことです。
「嘉寿惠さん、100年の修行、お疲れ様でした」って。
そうか、修行か、そうだよね、娑婆(しゃば)の辛さを100年も。
お焼香の時間は18人しかいないとあっという間です。
小学生の甥や姪は初めてのことで、見様見真似でちゃんとできていたのがグッときました。
そして、今回最も心に残ったことは、初七日の法要です。
初七日を告別式の中で一緒にする、いわゆる繰り上げ法要というのはこれまでにもあり、
正直おまけみたいな気持ちで思ってしまっていましたが、
この日、印象が大きく変わりました。
仏教では、故人が極楽浄土に行けるかどうかの審判をされる期間が49日間となっていて
最初の審判が行われる日が初七日なのですね。
7×7=49という計算です。
お坊さんは「これから嘉寿惠さんは旅路の中で7回の面談を行うわけです」と。
そうか、ここから旅が始まるのか。
この説明が、自分の心を穏やかにしました。
おばあちゃん!やったね!
実は祖母は旅が大好き。
ちゃーんとあの世に行けるように。
良い旅をしてもらえるように。
そんな気持ちで初七日法要で焼香しました。
だから、この日2回焼香したのですが、2回目のほうは、私は笑みを浮かべていました。
「おばあちゃん、気を付けていってらっしゃい」と心の中で伝えました。
普段は無宗教の私ですが、せっかくこういう場にいるのであるから
ちゃんと意味を分かって取り組むことは大事だなと思いました。
説明してくださったお坊さんに感謝します。
そうして、棺の蓋を閉めるとき、お花をどんどん入れることになります。
葬儀社の方は「最後のお別れを」と5分程時間をとってくれました。
やはり身内だけの式だからできる事なのかなと思いました。
実は事前に「おばあちゃんから預かっていたものがある」と母に言われ
渡されていたものがありました。
私が就職で東京の実家から群馬に一人暮らしをする際に、
祖母に宛てた手紙と、祖父が亡くなったときに励ましの気持ちで書いた手紙でした。
それを大事に保存してくれていたようでした。
「棺に一緒に入れてもいいんだよ」と母には言われましたが、
私は到底入れる気にならず、自分が書いた文章ではありますが、暫くは保管することにしました。
代わりに想いを綴ったものを用意したのですが、こともあろうか家に忘れたため手ぶら・・・。
まあ、それも私らしいと、祖母は笑ってくれるでしょう。
こうして、儀式は終わり、火葬場に向かうことになりました。
To Be Continued・・・