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このき なんのき かさいみき

2019年 04月 12日 ( 1 )

認知症の祖母が特養へ・・・介護をしてきた母への想い。

私の祖母は97歳です。
多趣味でおしゃれで頭の回転も速くて、80代後半からパソコンを覚えるなど好奇心も旺盛で
自慢のおばあちゃんでした。
それがここ数年で衰えが激しくなり、昨年から認知症も出始め、
今では私のことも分からなくなってしまいました。
(その時の最初のショックの記事はこちら

それでも食欲もありますし寝たきりではないので
デイサービスに週3回行くなどしていました。

その傍には、いつも母がいました。
祖母は母の実の母です。
娘だからこそのわがままもあったと思いますが、
さすがに排泄など一人でできなくなってからは
大袈裟でなく母が24時間、深夜に何度も祖母に起こされるという過酷な中で
世話をしてきました。

ショートステイも組み込みながら介護してきましたが
いつも母の脳内には祖母のことがありました。
出かけていても「早く帰らなきゃ」と常に思っていましたし、
体が痛いと言うから「どこが痛いの」と聞いても会話が成り立たずに疲弊していました。
でも、ずっとずっと介護し続けてきました。
実の母だから、なんとか自分の手で助けてあげたいから。

そんな母が先月「もう限界・・・」と電話口の向こうで涙を流しました。

もうその前から私は祖母より母の方が心配で、
もっとプロに頼む手段を進めたほうがいいと感じていました。

でも、母の懸命な姿も見ています。
母は本当に必死でした。祖母が過ごしやすいように、なんとかしたい、してあげたい、
その想いはひしひしと伝わってきました。
でも、文字通り限界でした。
睡眠時間は削られ、祖母のトイレには毎回付き合い、
飲ませる薬をチェックして、ご飯を食べさせて、
・・・もう、ここに書いているだけで私がしんどくなります。
でも、それをすべて母は一人でやってきました。

そして、とうとう、限界と自分自身が思って、納得して、
自宅での介護をあきらめて、特別養護老人ホーム(以下「特養」)に入所させることにしたのです。

母は本当にホッとした表情を見せました。
同時に本当に哀しそうな、申し訳ない表情も見せました。

それが答えなのだと思います。

これ以上自分一人では面倒を見られない、自分が壊れてしまう(既に壊れ気味)、
でも、何もわからない祖母を特養に入れることに罪悪感が押し寄せてくる。

そんな日々が過ぎて、

まさに、今日、祖母は特養へと入所しました。
(正式にはショートステイから移行していくらしい)
施設から車のお迎えが来ても、祖母はもちろん、
また自宅に帰ってくるだろうと思って乗り込んだと思います。
それがまた辛くて泣けてきたという母。

生放送中にそんな話を織り交ぜたら、
番組の最後にBUMP OF CHIKENの「花の名」が流れてきて
(ディレクターが偶然選曲していたのですが)
その旋律と歌詞をを聞いたら涙が止まらなくなりました。危ない危ない。

母が極度の喪失感に苛まれないか心配です。
なるべくこまめに声をかけていこうと思います。
本当にここまで頑張ってくれました。

また、祖母に全く会えなくなるわけではないので
たとえ自分のことを分かってもらえなくても、たくさん顔を出したいです。

文章にすると表現が陳腐になってしまっていないか心配ですが、
本当に、この一連の出来事は、自分の心に大きく刻まれました。
過去形ではなく進行形であり、これからも考えていくべきことだと思います。

※なんというタイミングか分かりませんが、
アナウンサー受験時代の友人の山野本竜規くんがこのようなブログを今日アップしていることに今気づきました。
偶然にしては本当にすごい・・・特に後半部分の介護の記述。思わず読み込んでしまいました。

by mikikasai819 | 2019-04-12 23:24 | にっき(日々の出来事) | Comments(0)
元ラジオ局アナで今はフリーで活動中、河西美紀(かさいみき)のげんき・やるき・ほんきのつぶやき。
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