2012年 08月 09日 ( 1 )

「仕事において自分はいいものを生み出そうとしても、
周りは何も考えずにただ目の前のことをこなすだけ。
この状況が悔しいし、とてもむなしくなる。」

このような内容を相談された。私自身も共感する場面が正直多々ある。

私は、アナウンスのお仕事をするにあたって、
どうやったらよりよくなるか、分かりやすくなるか、常に考えるようにしている。
・・・別に偉いことではない。
なりたくてなった職業だし、純粋に向上していきたいし、
何より、これでお金をいただいている「プロ」だという自負があるからだ。

がむしゃらにやることがいい場合もあるし、手を抜くことがいい場合もある。
考えた結果、とるべき行動は変わってくる。
相手に求められているものと自分が出せるものが合致したときの喜びは格別だ。
それはやはり「考えて」実行に移した結果ついてくる。

もちろん、毎日が笑顔というわけにもいかない。
落ち込むこと、つらいこと、うまくいかないこともある。
負のスパイラルからなかなか抜け出せないこともある。
でも、よりよくなるために・・・と考えることだけは完全には放棄しないようにしている。
何も考えずにただ仕事をする姿というのは、私が最も嫌悪するものかもしれない。

ここで注意すべきなのは、意見が合わない人というのは、むしろ歓迎ということ。
その人がよりよくするために考えた結果、自分と合わないことはどこにだってある。
結果的に全体を見通してベストな方向に進むのが理想だ。(かなり難しいけれど)

同じ想いで物事に取り組んでいる仲間は貴重な存在。
上っ面ではなく、お互いを高めあい、励ましあえる。
「前向き」な姿に、刺激を受ける。
前向きな現場に行くと、風通りがよく、自然といいものが生まれる。
ただ、「後ろ向き」になるのも決して否定できない。人間だもの。
ネガティブからの発想転換だってあるだろう。
そう思うと、前も後ろも向いていない「何も考えていない」状態が
私が最も身を置きたくないところなんだろうなぁ・・・
結論はそこにどうしても達してしまう。

この練習は、何のための練習なんだろう。
それを考えると考えないとでは、習得の速さに大きな差が出る。

この人に、どうやったら想いが伝わるだろう。
それを考えると考えないとでは、言葉の重みに大きな差が出る。


そうだよね、きっと。



・・・小学校時代お世話になった嘱託のK先生が、卒業時のサイン帳に
「人間は考える葦である。byパスカル」って書いてくださったのを思い出した。
12歳のときは難しすぎて、もっと面白いこと書いてよ!と思ったが、
今、3倍の年月が過ぎて、心にしみる。
(「人間は一本の葦にすぎず自然のなかで最も弱いものである。
だがそれは考える葦である。」
人間は孤独で弱いけれど,考えることができることにその偉大と尊厳がある・・・。)

本当の意味でのいい仕事がしたい。
周囲に惑わされず、腐らず、クリエイティブでありたい。
自分を必要としてくれる相手のために。
そして、回りまわって最後には自分のために・・・。
by mikikasai819 | 2012-08-09 22:58 | やるき(決意・反省など) | Comments(0)