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京橋・桜ノ宮・塚口という異なる3つの目的地☆関西ひとり旅3☆

旅行記以外もUPしています。よろしかったら目を通してやってください。

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11月9日(木)

寝ました。
寝すぎました。
起きたら10時15分でしたぁぁぁぁ。(泣)
そりゃ、前の日に熊野を歩いて疲れたというのもありますが、これは寝すぎです。
普段、シティホテルに宿泊のときは12時チェックアウトで慣れてしまっていて、
今回ひとりでビジネスホテル・・・ということは、えっと、普通10時チェックアウトだよね・・・(汗)。

もう、時間過ぎてます・・・(爆)。

あわててフロントに電話。
「11時までは延長料金はサービスでいいですよ」
・・すみません。(以前、青森にひとり旅したときも同じことをした私・・・)

というわけで、午前中を有効に使えませんでしたが、前向きに♪

本日の目的地は3つ。
そのうちの1つは、大阪駅から環状線で4分。京橋駅です。
京橋といえば、よみうりテレビの社屋があります。
私のアナウンサー試験の原点ともいえる場所です。
(詳しくはこちら
8年前、大学生だった私は、アナウンサーになりたいという夢を持って試験を受け、
この、よみうりテレビという「準キー局」のアナウンス講習会に参加することができ、
(今でも奇跡的だと思っていますが)ここで多くの仲間と出会いました。

その仲間の中で内定をもらった=今、YTVでアナウンサーをしているのが、
横須賀ゆきのちゃん。

そう、今日は、彼女との8年ぶりの再会を果たせる日です。

卒業以来、お互い忙しくてなかなか実現できませんでしたが、
彼女が夕方の番組のキャスターとして活躍しているのはHPなどで知っていました。
すごい雲の上の人になっていたらどうしよう・・・とちょっと緊張気味の私(笑)。
でも、いざ、再会してみると・・・
ああ、学生時代と変わらないゆきのだ!と、うれしくなるのでした。

大阪では相当な有名人なわけですから、ご飯を食べているときも私のほうがそわそわ。
でも、ゆきの自身は
「関西はタレントさんが多いから、アナウンサーはそんなに目立たないよ」って。
いやいや、そんなこともないでしょうけど(苦笑)、ゆっくり出来ました。
お互い、昔の話もしましたが、やっぱり今、報道の世界で働いている彼女は、
日々ニュースの勉強をしている様子で、刺激になりました。

あとは、そうそう!

「今日はどうして大阪に来たの?」「昨日は何したの?」
「結婚生活どう?」「だんなさんはどういう人?」「仕事は忙しいの?」

さすが、アナウンサー。インタビューがうまい(笑)。
彼女は、矢継ぎ早に、でも笑顔であれこれ話を引き出すのです。
私もそうなのですが、無意識に、そして多面的に聞いて話を膨らませてしまうのですよね。
改めて職業病だな、と感じました(笑)。
でも、おかげで1時間のランチタイムで8年分の空白はほぼ埋まりました。
報道という念願のジャンルに携わってキャスターとしてがんばっているゆきの。
お互い輝いた30代にしようね。

別れてから、改めてYTVの社屋を眺めました。
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ここで働いていたら・・・と、今ではあり得ない「もしも」を想像したら、
ふっと笑いがこみ上げました。
人生って本当にわからないです。

さて、第2の目的地は、京橋の隣の駅、「桜ノ宮」。
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こう書くと、地元の人は「はぁ?なぜ?」と驚くことでしょう。

そう、忘れもしない、8年前のYTVのアナウンス試験のとき。
「昨日はどこに宿泊したんですか?」と聞かれ、
「はい、桜ノ宮です」と答えたら、まさに「はぁ?なぜ?」と反応されましたから(笑)。

説明すると、えーっと、桜ノ宮って、大阪のラブホテル街の代表なのだそうでして・・・。

当時まだインターネットもあまり普及してなくて、
私は、京橋に近い&安いところで宿を探していて(学生ですからね)、
たまたま見つけたのが桜ノ宮の「リバーサイドホテル」というビジネスホテルだったのです。
だからもちろん、何の大意もありません。
別に、周りは桜ノ宮公園で閑静でしたし、駅からも近いですし、
ホテル自体、非常に快適なステイでした。

しかし、あとから街のイメージを聞いて、
「ああ、確かに、梅田にもなんばにも新大阪にもたくさんホテルあるのに、
なぜ、あえて桜ノ宮なんだろう」と苦笑いしました。
「桜の咲く季節には、私もYTVのアナとして働いていたいです」なんて
そんなことは知らずに、純粋にアピールしていましたから(笑)。
まあ、そんなわけで、もう1回降り立ってみようかなと思った次第です。

リバーサイドホテル・・・ありました。
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懐かしい!確かにここに泊まりました。
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そして、目の前の桜ノ宮公園で、朝、ちょっとだけ発声練習をしてから
試験に行ったことも思い出しました(今では絶対恥ずかしくて出来ない)。
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うーん。しみじみ。

そして、もう1つ、桜ノ宮でどうしても探したかった店が、駅近くの喫茶店。
8年前、朝、リバーサイドホテルから駅に向かう途中でトーストを食べて、
やる気を出した喫茶店です。
「内定もらったら絶対この店にお礼に来る!取材する!」と勝手に思っていたなぁ(笑)。
そんな喫茶店・・・ありました。
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「ミル」というお店でした。(名前までは覚えていなかった)
そして、中に入ってまた思い出したのですが、ラジオがかかっていました。
そう、試験当日もこの店のラジオから流れるトークを聴きながら、
アナウンサーになりたいって思いを強くしたのでした。
(注:YTVはテレビ単営局ですが、そのあたりは突っ込まないよう・・・)
とりあえず、アイスコーヒーを飲みながら、20分ほどボーっとしました。

桜ノ宮は満喫したので、最後、3つ目の目的地。
行くかどうか相当迷いましたが、
どうしてもこの目で見て、手を合わせたかったのです。

それは、福知山線の脱線事故現場でした。
(事故から1年の日に、自分なりの想いを記した文章はこちら

大阪駅から塚口駅まで行き、そこから線路に沿って
尼崎方面に戻るような形で歩いて1キロ。15分くらいでしょうか。

あの、テレビで何度も見た、電車が衝突したマンションが見えました。

怪我をされた方がたくさん倒れこみ、その横でマスコミのカメラがたくさん並んでいた道。
救助に奔走した人がたくさんいたと報道された、現場近くの工場。
今は、とても静かで、通行人は誰もいません。
遠く離れた東京で、しかもテレビの画面で見ていた私にとって、
その景色は、逆に、一種、非現実的に思えましたが、
ゆっくりと近づきながら最初に思ったことは、
本当に普通のマンションで、本当に普通の線路だということ。
もともと、普通の生活がそこにあったのだということでした。


裏に回りこんで、マンションの入り口に行くと、献花台への通路が設けられていました。
そこに立っている警備員が、私に向かって悲しそうに最敬礼をするのです。
敷地内に入り、一歩一歩進むと、
また別の警備員が最敬礼。なかなか顔を上げません。

献花台の手前にあった小さな仏像にちょうど向かい合うと、
そこは電車の1両目と2両目がへし曲がって突っ込んだ
マンション1階の駐車場付近でした。
何もそこにはないけれど、衝突のすさまじさは今も残っており、外壁はボロボロ。
この場所で多くの方が命を失われたのか・・・と思うと、
目を開けているのが本当につらかったです。
そして、ここに住んでいた人のことも考えると、ますます複雑な気持ちがわきあがりました。

そのまま、マンションからはいったん遠ざかる形でさらに奥へ進むと、
テントがあり、献花台がありました。
手向ける花は持っていませんでしたが、そちらにも進むと、私の姿を確認したのか、
遠くで既に最敬礼をしている・・・おそらくJRの職員であろう2人が見えました。
その2人は、私が献花台に向かって歩いている間はもちろん、手を合わせている間、
さらに、再び去っていく間、まさに私の姿が見えなくなるまで、
ただの1度も顔を上げることなくずっと90度の角度でお辞儀をしているのでした。

たくさんの方の命が失われた、あってはならない事故ですし、
今も責任問題などいろいろあるため、軽々しい感想は差し控えたいと思いますが、
私がひとりで訪れた際の警備員・職員の深々とした礼は、
マニュアルではなく、心から哀悼の意を表したお辞儀に思えました。
その姿がまた、自分の中の沈痛な思いを強くし、
犠牲者の冥福を祈りたいという気持ちでいっぱいになりました。

最後に、再度出口のところで、警備員がゆっくりと最敬礼している姿を見て、
私はどうしても声をかけたくなりました。
でも、勤務中だし、それこそこうしてお辞儀をしているところに
話しかけていいのだろうか・・・でも、せっかくだし・・・やはり職業病です。

「あのー、質問してもいいですか」

すると、警備員は初めて顔を上げて、「はい、何でしょう」と答えてくれました。

「この現場には、今、1日に何人くらい訪れるのですか」
「70人くらいです」
「・・・1日に、ですか?」
「はい、でもほとんどはJRの方ですので、個人の方は10人から15人くらいです」
「そうですか・・・ここにはずっと立っているんですか」
「はい、事故以来ずっとです」

その2つの質問以外は、胸がいっぱいで言葉になりませんでした。
別に取材で訪れているわけでもなく、かといって好奇心で話しているわけでもなく、
ただ事実をしっかり受け止めておきたいという一心でやってきたからだろうと、
自分で自分を分析しました。

帰りは、尼崎まで歩いてもよかったのですが、
やはり、どうしても同じ線路を走っておきたくて、塚口まで引き返し、
そこから事故現場を実際に電車で通りました。
偶然、ホームで並んだところが1両目の場所だったので、そのまま乗り込みました。

車内は10人いるかいないかで、私は一番前に座りました。
すると、目の前に、親子連れが乗っていて、
子供は・・・小学校上がる前くらいの年齢で、とにかく大きな声で喋っていました。

「新幹線は早くてすごいよねー」「のぞみとはやては乗ったことあるよー」って。

ああ、電車好きなんだ(微笑)。

動き出して、数分後、その現場を通ります。
さっき、実際に足を運んだ場所です。
車窓からみると、また沈痛な想いがよみがえります。

そのとき、「あっ、ここ、事故があったところだよ。ね?ね?ねぇってば!!!」
子供が大声を上げたのです。

すると、子供の父親は黙らせるでもなく、携帯をおもむろに出して、
そのマンションの写真を撮ったのです・・・。


「お父さん、見せて見せて!」

車内の空気は張りつめ、なんとも、切ない瞬間でした。

1年半たって、私は、今回、偶然立ち寄る機会がありましたが、
いつもこの電車を利用する乗客、いつもこの電車を走らせる運転士は、
どんな思いでここを通っているのでしょう。
毎日のこととなると風化してしまうのでしょうか。
いや、それが悪いことだといっているのではなく、
自分の中では少し風化しないと怖くて電車に乗れないかもしれませんよね・・・。
ちなみに、その場所を通るとき、心なしか、とてもゆっくりに感じられました。
普段乗っていないからこれも分からないのですけどね・・・。

当たり前のような日常。
でも、その日常を大切にしたいということを痛感する大阪~塚口間の往復でした。

このひとり旅を振り返ると、非常に中身が濃かったように思います。
イタリア行きは断念したけど、それに匹敵するかもしくはそれ以上でした。

※最後にちょっと私らしい笑い話があるのですが、
流れとしては、いったんこの文章は閉じて、改めて新しいタイトルで書こうと思います。
(そんな新たに書くほどのことじゃないので恥ずかしいな・・・)
by mikikasai819 | 2006-11-16 17:19 | りょこうき(旅の記録) | Comments(0)