2005年 08月 04日
局アナ試験の喜怒哀楽
局アナ試験です。
私の第一希望は当然、中学時代の衝撃のきっかけとなったTBS。
いわゆるラジオテレビ兼営の放送局に行きたかったのです。
もちろん玉砕でした。
東京のキー局なんて、ほんの数人しか入れない、
一瞬で実感できましたね(苦笑)。
東京の次は大阪。準キー局です。
ここでもことごとく・・・いえ、ひとつだけ、
私の人生を大きく変えてくれた局がありました。
よみうりテレビです。
それまで書類落ちや1次面接落ちだった私が
初めて1次面接・2次面接と通過し、
大阪でのアナウンス講習会(という名の採用試験)まで
進むこととなったのです!!
うれしかったなぁ・・・。
そしてこのよみうりテレビでの2泊3日の中で
かけがえのない出会いもありました。
みんなで一緒に大阪の街に飲みに行ったなぁ。
「ライバル」なんだけど、そのときだけは
同じアナウンサー志望の「仲間」って感じでした。
新幹線で帰京する前に、
公衆電話から結果を聞くんですけど、
「残念ながら・・・」といわれているその後ろで、
「俺の合否も聞きたいから電話変わって」なんていってる人もいて。
結局、ここでの仲間はほとんどが
他局でちゃんとアナ採用されたから
優秀だったということなのでしょう。
大阪・名古屋・岡山・鳥取・徳島・そして群馬・・・
バラバラになるまで、
みんなで夏に花火したり、誕生会したり、
本当に楽しかった・・・。青春♪
まあ、大阪以外でも富山の北日本放送のときも
何人かでボウリングやカラオケ行って楽しかったぁ。
秋田でとまった「ホテルハワイ」っていうビジネスホテルも
アナ受験者ばかりで修学旅行みたいで楽しかったなぁ。
ニッポン放送で出会った友達とは
家で宴会?をして、牛タンゲームして、楽しかったなぁ。
(ちゃんと試験に集中しろ!!って?)
もちろん楽しい思い出ばかりではなく、
つらい方が多かったです。
4日間の試験日程が組まれた中
1日ごとに少しずつ落とされていくシステムで、
順調に残っていた3日目に、とうとう自分の名前を呼ばれなくて
「そのまま荷物をまとめてお帰りください」といわれたこと、
1ヶ月間、香川まで飛行機で通いまくって、
最終試験まで残ったのは私ともう一人だけ・・・、
なのにその局はなんとどちらも採用しなかったこと、
試験の部屋で咳がとまらず苦しそうな人に
「大丈夫?」と話しかけたら、
気づかぬうちに風邪をうつされて、
その風邪引いてた本人が合格していたこと(涙)・・・、
今となってはすべてが懐かしいです。
局アナ試験のおかげで、
日本全国に出かけられたのもよかったかな。
でも、あの過酷な試験日程、もう一度やりたいとは思いません(笑)。
※そういえば、牛タンゲームの飲み会の場で、
友達から「FMぐんま、今年採用試験あるよ!」と教えてもらったのでした。
私の運命はこの日が握っていたのですね。
ここに居合わせなかったら今はありませんから。すごいっ!!!
by mikikasai819
| 2005-08-04 23:59
| でんき(昔の出来事)
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