祖母の青春は戦時中だった。いや、青春はなかった。

3月8日は昨年100歳で亡くなった祖母の誕生日でした。
101歳・・・は迎えられなかったけれど、やはり私にとっては大事な日です。

その日にあわせて、1つ、文章を掲載しようと思っていました。
祖母が生前に自伝を書き記していたことが分かり、
その中に私がこれまで聞いたことのない、いわば「恋の話(!?)」があったのです。
でも、戦時中だからそんな素敵なことではなく、読むと心が張り裂けそうになる内容でした。



おばあちゃん、このブログで紹介してもいい?
(天に話しかけている)



本来日記のようなものは人に見せるためのものではないのでしょうが、
私は孫として、これは平和のためにも、多くの人に知ってほしいと思ったのです。



おばあちゃん、許してくれる?
まだ生きていたらもちろんそれはご法度ですが、きっと理解してくれると信じて・・・。




☆☆☆


戦争一色に塗りつぶされた私たちの青春はなんだったのだろうか。
恋というにはあまりにも儚く哀しく、しかし忘れられない一編を書いておこう。

ある夏の夜、級友のA子から、秋山君が休暇で来ているから・・・と誘われ、
軽い気持ちでついてゆくと、路地に軍服姿の同級生の彼がいた。
A子は用事があるからと、私達を残して去った後、

彼はぽつりと

「実は近々戦地へ発つことになったので・・・」と言う。

「えっ、それはご苦労さまね」と言ったきり、後の言葉が続かない。

これと言った話もなく、同級の誰彼の消息などを話しただけで、長いような短い時間が流れた。

戦時中に男性と逢っていることさえもなんとなく後ろめたい気持ちで、そわそわと、
「あのぅ 遅くなると父に怒られるから・・・お元気でね」と、
何か言いたげな彼を残して足早に去った。

その夜、床についてから、私はなんて馬鹿なんだろう、
戦地へ発つという人にそっけない態度の自分が許せなかった。

眠れない夜が明けて、歩いて10分くらいの彼の家へ急いだ。
しかしもう出発した後だった。

彼の母親が

「あれはねぇ 俺が無事に帰ってきたらあなたを嫁にほしいと言っていましたよ」

その言葉に えっ と言ったきり何も言えなかった。

出征した級友の誰彼に同じように慰問の手紙をに2~3回出しただけだったのに
そんな風に思っていてくれたのかと胸が熱くなった。
昨夜の薄暗い街燈の下で、何かを告げたかった彼の表情を思い浮かべ
取り返しのつかないことをしてしまったのでは・・・とうなだれてしまった。

それから2ヶ月も過ぎたころ、南方へ向かう輸送船が撃沈され、
彼の戦死の知らせがあったとのことである。
戦わずして海の底へ沈んだ彼の無念さを思うとたまらなかった。
秋山家の菩提寺を尋ね、手を合わせることしかできなかった。

兄も招集でビルマへ、姉2人は結婚したが空襲が激しくなったので、田舎へ疎開していた。
B29の戦闘機が銀翼を連ねてゆく大空を不思議に恐ろしいとも思わず仰いだ。
戦争は間違いなく身近に迫ってきたことを感じる日々であった。
きっと勝つ 日本が負けるなんて考えられない と誰もが自分に言い聞かせていたと思う。
そしてだんだん乏しくなる食糧にもみんな耐え忍んでいた。

そして8月15日、ラジオの前に集まった。
家族、隣近所の人達と初めて天皇陛下のお声を聞き、戦争の終決を知る。
張りつめた気持ちががたがた崩れ、みんな声を上げて泣いた。暑い暑い日だった。

これからどうなるのだろうかと不安が誰の胸の中も同じだったであろう。
でも心の隅で、これで毎晩の空襲警報もなく眠れるのだとほっとしたものもあった。


☆☆☆

「秋山君」という名前が文章の中に出てきたとき、大きく目を見開きました。
私の母も祖母のこういう話は聞いたことがなかったようです。

そして、B29、祖母はその姿を直接見ていたのだなぁ。

こうやって書き残してくれた文章は、その時の苦しさを共有し、
この先に伝えていく貴重なことだと痛感しました。

おばあちゃん、いろいろ記録を残してくれてありがとう。

by mikikasai819 | 2023-03-16 16:28 | にっき(日々の出来事) | Comments(0)