2022年 12月 31日
祖母との別れを記す【下】
10月26日に亡くなった祖母との別れを記しています。
もちろん、今年の大きな出来事ではあるのですが、
ギリギリにならないと書けない自分を呪います。苦笑
よろしければ先に2つ前のものからお読みください。
火葬の際の感情なので、リアルな描写は不快・NGという方はスルーしてください。
★★★
火葬場が混んでいるからという理由で葬儀の日程が決まる・・・
東京都内ではそれが日常のようです。
実際に近いところは空いていないから、少し遠い火葬場まで向かうことになりました。
13年前の祖父の時は、ほぼ初めての体験で、もう自分自身どうにかなりそうだったのですが、
今回はやけに落ち着いていました。
いざ到着して驚いたことは、あまりにも多くの方がいらっしゃったことです。
今日ここで何人の方が荼毘に付されるのだろう。
複数並んでいる火葬炉には次から次へと多くの遺族が訪れていました。
棺の蓋はもう開けないと言われていたのに、ここで少し時間がありました。
おばあちゃん、ありがとう。
私の披露宴の時に来ていた着物を身にまとい、きれいなお化粧をした祖母にお別れを告げました。
待っている間は子供たちはお菓子を食べ、大人たちは談笑。
祖母がここにいたらきっと楽しんでいるだろうな。
しばらくして呼ばれた収骨の際、ハプニングが発生。
「字が違う!」
祖母は「かずえ」という名前なのですが、その「え」の漢字が違うと母が気づいたのです。
骨壺には「恵」ではなく「惠」と書いてありました。
スタッフの方が血相を変えて「すぐ確認します」と。
結果は・・・戸籍に「惠」と書いてあります!とのこと。
えええ?
祖母が亡くなってから初めて知った事実。
本人も知らなかったかもしれない・・・
とにかく間違っていなかったので予定通り収骨。
ここのスタッフもプロでした。
喉仏の説明などもとても分かりやすかったし、
「下顎は誰が見ても分かるくらい綺麗ですね」って言われたのが
孫としてはなんだか嬉しかったです。
ついさっきまで目にしていた祖母の顔が浮かびました。
そして「惠」の文字もさることながら
その横に「百歳」って書いてあるのが感慨深かったです。
百、です。
九十九じゃなくて百。
漢数字3文字ではなく1文字。
おばあちゃん、本当に100年間生きたんだね。
最後の数年は思い通りの日々ではなかったけれど、
それも含めておばあちゃんの人生だったね。
最後は身内で会食。
アクリル板があったので、話そうと思っても
「え?」「何?」「聴こえない」となって会話が難しく、
それ以前に高齢者も多いからと思って会話を控えてしまい
せっかく集まれているのに残念でした。
でも、こういう状況で一同に会せたことがそもそも幸せなのであって
この日をきっと忘れないと思いました。
12月13日、ちょうど四十九日当日。
この際の法事はさらに人数少なく、
父・母・私・弟・妹・伯父1・伯父2の7人のみで執り行いました。
お墓に入った祖母は、ちゃんと旅ができたかな。
★★★
実は、祖母が生前遺してくれた私への手紙がありました。
葬儀のあとに母から渡されました。
「元気なうちに一筆ありがとうと言いたくてペンをとりました。
いつも優しくしてくれて嬉しいです。
手の手術をした時、左手で昼食の時美紀が来てくれて食べさせてくれました。
嬉しかったです。
私も90を超えた高齢者です。
いつも先のないことが解っていますから、残された日々を大切に生きるつもりです。
中略
振り返って私の一生は幸せでした。
ありがとう ありがとう
あの世とやらで幸せを見守っていますよ」
90歳を超えた時の文章のようなのでその後の10年はどう思っていたか分かりませんが、
少なくともこの手紙を書いているときは幸せな一生と思っていたと分かり私も嬉しいです。
うん、おばあちゃん、見守っていてください。
あなたに似て多趣味で、文章を書くのも好きな孫より。
完
※このあと2022年を振り返ります!
by mikikasai819
| 2022-12-31 17:10
| にっき(日々の出来事)
|
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