このき なんのき かさいみき

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元ラジオ局アナで今はフリーで活動中、河西美紀(かさいみき)のげんき・やるき・ほんきのつぶやき。

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「友達は多いですか?」~上司を偲ぶ~

新年早々、悲しいお別れがありました。
エフエム群馬時代にお世話になった元社長の小林洋右さんの訃報。
(地元の新聞などではお悔み欄に載ったので実名で書かせていただきます。)
放送部長・営業部長・社長・会長と務められました。
放送部にいらした頃はまさに放送現場でかなり厳しかったと先輩方から聞きましたが
私が入社した時は営業部長でいらっしゃって、
毎日接点があるわけではなく、いつも笑いが豪快で堂々とされている印象でした。
映画の上映会など土日に仕事があると、その現場に必ず顔を出され
「頑張ってるね!お疲れ様!」と声をかけてくださいました。
そういうものなのかもしれませんが、当時は
「お休みの日でも現場に必ずいらっしゃるって凄いな」と尊敬していました。

私は退社して17年もの年月が経ちますが、
その間ずっと年賀状のやりとりをしてきました。
令和最初のお正月にも、実は届いていたのです。
いつも一言何か手書きのメッセージがあったけれど
今年は見当たらないなぁと思ったくらいで、まさかこんなお知らせが来るなんて・・・。

私のもとにも各方面からの連絡が入り、
昨日通夜に参列しに群馬に行ってきたところです。
ご遺影が私の知っている頃のお顔で、とてもいい笑顔で、
改めてご一緒させていただいた時代に想いを馳せて、
ご冥福を祈らせていただきました。

今回、小林元社長との思い出を振り返るにあたり
最初に何が浮かんだかというと、実は就職試験の役員面接でのことです。
アナウンサーになりたくて全国津々浦々数多くの放送局を受験してきた中で
エフエム群馬の面接の流れは当時の小林部長の一言から始まりました。

「河西さん・・・友達は多いですか」

意外な質問から来たのでとても驚いたことを覚えています。
どうしてこう聞かれたのか・・・。
実際、その当時、今以上に人付き合いは広かったですし
様々なグループで幹事役だったこともあるので素直に答えたと思います。
その答えがどう影響したかは分かりませんが、
自分の人間性を見ていただいたのかなぁと、印象深い質問でした。

次に浮かんだのは、エフエム群馬を退社する時のやりとりです。
辞める意思を直属の上司に伝えたところ、数日して社長室に呼ばれました。
大きな会社ではないですが、それでも社長室に行くというのは緊張するものです。
恐る恐るドアを開けたところ、当時の小林社長は笑顔で迎え入れてくださいました。

「辞めることを既に決めたのに引き止めるようなことはしないから安心して。
ただ、せっかくだから、今まで感じてきたことを話してほしい。」

当時色々あって精神的に疲弊してしまっていた自分の話を聞こうとしてくださって
どれだけ救われたか分かりませんでした。
もちろん、個人の悩みに寄り添うという意味合いではなく
今後の会社のためにということだったかもしれませんが、
それでも間違いなく私はあの日、素直になれる時間をいただけて
ありがたいなぁと思いました。

・・・今回、通夜に参列して、
当時の同僚の皆様とたくさんお会いすることができました。
中には10年以上ぶりの方もいて、本当に懐かしく嬉しかったです。

「再会できるのって大抵こういう(冠婚葬祭のような)時なのよねぇ。
近いうちに普通の時に会いましょうね。」
寂しそうな表情で声をかけてくださった先輩もいらっしゃいました。

「再会の場を作ってもらったのかもしれないね。
我々を引き合わせてくれたんだね。」
年賀状のやりとりだけ続いていた先輩がしみじみ言ってくださったのが
とても印象的でした。

私がエフエム群馬にいたのは4年弱という短い期間でしたが
改めてその期間が中身が濃く今に繋がる成長の日々だったと
再認識する時間となりました。

小林社長、当時も、亡くなられた今もなお、心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。

by mikikasai819 | 2020-01-08 22:32 | にっき(日々の出来事) | Comments(0)

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