予選結果に思うこと
2016年 06月 07日
先週末日曜日、NHK杯全国高等学校放送コンテスト東京都大会の予選でした。
都内2校のアナウンスと朗読、番組制作等を指導している身としては、
直接会場に出向かなくとも生徒たちの健闘を祈っているわけでして、
今日その結果が発表となりました。
(放送コンテストというのがそもそもイメージわかない人もいると思うので、
順番前後しますが説明しますと、
アナウンス1分半以内または朗読2分以内の原稿を用意し、
それを発表し、審査してもらうというものです。)
正直、驚きました。
えっと・・・嬉しいサプライズではなくて、現段階では逆のビックリ。
おそらくこの生徒は予選を通過するだろうという実力があった子たちが
今回ことごとく敗退していました。
もちろん、絶対の正解はないので、一概には言えません。
相当の人数がエントリーしていますし、何か物申すつもりはありません。
ただ、失敗せず満足のいく読みができて、ある程度のレベルに到達していて、
さらに昨年(つまり1つ前の学年の時)は決勝に進めていて・・・という状況で
どう推測しても、うーん、どうしてダメだったのだろうか・・・
その場にいないで話を聴いているだけでは若干不可解です。
他の参加者たちのレベルがそれ以上に高かったと思うしかない・・・
あとは、審査員の基準、さらには審査員の価値観・・・でしょうか。
でも、結果は結果。それ以上でもそれ以下でもありません。
それにしても審査競技というのは、どんなものでも
スッキリしないシーンが出てきます。
たとえば、私自身の中学の時の合唱コンクール。
1年の時、自分のクラスは優勝しました。
すごく嬉しくてみんなで泣いて喜びましたが、隣のクラスと同点優勝でした。
「どう聞いても向こうの方が良かった」
「音楽の先生が担任だから明らかに贔屓だ」
「どこがどう同点なのかさっぱり分からない」
まあ、散々と周りからは言われました。
その時は堂々としていましたが、今思い返すと、
どういう点数のつけ方なのか、よくわかりません(苦笑)。
たとえば、毎年司会をご依頼頂いている私学創作ダンス大会。
どれも本当に素晴らしい。でも、順位は決めなくてはなりません。
優勝を争う強豪校はここ数年3校。毎年嬉しい悲鳴と悲しい沈黙が繰り広げられます。
ここまでのレベルになると、正直、何が決め手なのか全くわからない時もあって、
何が嬉しく、何が恨めしいのか・・・、舞台袖から観ていてもつらいです。
たとえば、オリンピック。
審査で点がつく競技はたくさんあります。
どうしてそういう点数になったのか、わからないことがあります。
審査員も人。やっぱり心境は各々異なるはずです。
それでも、どうして?と思わざるを得ないことがあります。
点数は点数として受け止めなくてはならない、
それが不服なら誰もが文句のつけられない演技をすればいい・・・
でも・・・ね、難しいですよね。
というわけで、今回は高校の放送コンテスト。
3年生は予選を通過できなければもう次はありません。
残念ながらここで敗退という生徒たちから直接メールの報告が寄せられました。
悔しい、悲しい、つらい。
そういう気持ちの中で連絡をくれたこと、それをまず何よりも褒めてあげたい。
ただ指導してもらっておしまいという人が多い中で、
ちゃんと報告・お礼が言える生徒には、心から励ましの言葉をかけてあげたい。
そして、あえて言いたい。
大会には勝者と敗者が出てしまうのは仕方がないこと。
でも、その発表の場で、練習通りの成果が発揮できたのか。
会場の誰か、たとえたった一人にでも心に刺さるような読みができたのか。
自分の満足のいく、自分らしいアナウンス・朗読ができたのかどうか。
頑張ったら頑張った分だけ、今は落ち込んでいるはずで、
その気持ちを思うと私も胸が張り裂けそうになります。
「コーチ、頑張ってきます!」「先生、絶対決勝行きたいです!」と
最後に笑顔で会った両校の生徒たち。
予選不通過ということは、決勝に向けての練習で会うこともなくなります。
コーチとしての立場を考えれば、指導者の私が力不足だったことも否めず
大変心苦しいです。
でも、部員たちにとって絶対にここまでの経験は無駄にはなりません。
それは断言できます。
そして、決勝に残った生徒たちももちろんいるわけで、
心からエールを送りたいです。決勝進出おめでとう!!!
通過してよかったねという単純なことではなく、なんというか、
「もう一度発表できる場(決勝)があって本当によかったね。
またいろいろな人に聞いてもらえるね。」と。
本来、アナウンスや朗読は、点数をつけるものではありません。
そういうと、大会趣旨はどうなっちゃうんだという感じですが(苦笑)、
これはこれ、それはそれ。
自分自身も20年前に高校の放送部員で、同じような経験をしてきて、
上手く読めなくて落ち込んだこともあったし、
逆に全国大会に進めてHappyだったこともあったし、
そういう一つ一つの結果もそうですが、
一生懸命に取り組んだ日々の方が鮮明に覚えていて、とても誇らしいのです。
決して格好つけているわけではなくて。
あの高校時代があるから、私は今この仕事をしています。
番組を放送していて誰かから直接点数をつけられることはないけれど、
内容が届いているか、想いは伝わっているか、常に考えながら喋っています。
どうか、今日残念な結果だった生徒たちにも、前を向いてほしい。
少なくとも私が聞いた練習のときは、個性あふれる愛情いっぱいの読みだった、
たくさん蛍光ペンで原稿にしるしをつけて、何度も自分の声を録音して、
どうやったら分かりやすいか、どうやったら情景が浮かぶか、
たくさんたくさん考えて自分の作品に仕上げたこと、
結果の向こう側=これからの人生の自信にしてほしい。心からそう思っています。
長くなりましたが、どうしても記しておきたくて。
都内2校のアナウンスと朗読、番組制作等を指導している身としては、
直接会場に出向かなくとも生徒たちの健闘を祈っているわけでして、
今日その結果が発表となりました。
(放送コンテストというのがそもそもイメージわかない人もいると思うので、
順番前後しますが説明しますと、
アナウンス1分半以内または朗読2分以内の原稿を用意し、
それを発表し、審査してもらうというものです。)
正直、驚きました。
えっと・・・嬉しいサプライズではなくて、現段階では逆のビックリ。
おそらくこの生徒は予選を通過するだろうという実力があった子たちが
今回ことごとく敗退していました。
もちろん、絶対の正解はないので、一概には言えません。
相当の人数がエントリーしていますし、何か物申すつもりはありません。
ただ、失敗せず満足のいく読みができて、ある程度のレベルに到達していて、
さらに昨年(つまり1つ前の学年の時)は決勝に進めていて・・・という状況で
どう推測しても、うーん、どうしてダメだったのだろうか・・・
その場にいないで話を聴いているだけでは若干不可解です。
他の参加者たちのレベルがそれ以上に高かったと思うしかない・・・
あとは、審査員の基準、さらには審査員の価値観・・・でしょうか。
でも、結果は結果。それ以上でもそれ以下でもありません。
それにしても審査競技というのは、どんなものでも
スッキリしないシーンが出てきます。
たとえば、私自身の中学の時の合唱コンクール。
1年の時、自分のクラスは優勝しました。
すごく嬉しくてみんなで泣いて喜びましたが、隣のクラスと同点優勝でした。
「どう聞いても向こうの方が良かった」
「音楽の先生が担任だから明らかに贔屓だ」
「どこがどう同点なのかさっぱり分からない」
まあ、散々と周りからは言われました。
その時は堂々としていましたが、今思い返すと、
どういう点数のつけ方なのか、よくわかりません(苦笑)。
たとえば、毎年司会をご依頼頂いている私学創作ダンス大会。
どれも本当に素晴らしい。でも、順位は決めなくてはなりません。
優勝を争う強豪校はここ数年3校。毎年嬉しい悲鳴と悲しい沈黙が繰り広げられます。
ここまでのレベルになると、正直、何が決め手なのか全くわからない時もあって、
何が嬉しく、何が恨めしいのか・・・、舞台袖から観ていてもつらいです。
たとえば、オリンピック。
審査で点がつく競技はたくさんあります。
どうしてそういう点数になったのか、わからないことがあります。
審査員も人。やっぱり心境は各々異なるはずです。
それでも、どうして?と思わざるを得ないことがあります。
点数は点数として受け止めなくてはならない、
それが不服なら誰もが文句のつけられない演技をすればいい・・・
でも・・・ね、難しいですよね。
というわけで、今回は高校の放送コンテスト。
3年生は予選を通過できなければもう次はありません。
残念ながらここで敗退という生徒たちから直接メールの報告が寄せられました。
悔しい、悲しい、つらい。
そういう気持ちの中で連絡をくれたこと、それをまず何よりも褒めてあげたい。
ただ指導してもらっておしまいという人が多い中で、
ちゃんと報告・お礼が言える生徒には、心から励ましの言葉をかけてあげたい。
そして、あえて言いたい。
大会には勝者と敗者が出てしまうのは仕方がないこと。
でも、その発表の場で、練習通りの成果が発揮できたのか。
会場の誰か、たとえたった一人にでも心に刺さるような読みができたのか。
自分の満足のいく、自分らしいアナウンス・朗読ができたのかどうか。
頑張ったら頑張った分だけ、今は落ち込んでいるはずで、
その気持ちを思うと私も胸が張り裂けそうになります。
「コーチ、頑張ってきます!」「先生、絶対決勝行きたいです!」と
最後に笑顔で会った両校の生徒たち。
予選不通過ということは、決勝に向けての練習で会うこともなくなります。
コーチとしての立場を考えれば、指導者の私が力不足だったことも否めず
大変心苦しいです。
でも、部員たちにとって絶対にここまでの経験は無駄にはなりません。
それは断言できます。
そして、決勝に残った生徒たちももちろんいるわけで、
心からエールを送りたいです。決勝進出おめでとう!!!
通過してよかったねという単純なことではなく、なんというか、
「もう一度発表できる場(決勝)があって本当によかったね。
またいろいろな人に聞いてもらえるね。」と。
本来、アナウンスや朗読は、点数をつけるものではありません。
そういうと、大会趣旨はどうなっちゃうんだという感じですが(苦笑)、
これはこれ、それはそれ。
自分自身も20年前に高校の放送部員で、同じような経験をしてきて、
上手く読めなくて落ち込んだこともあったし、
逆に全国大会に進めてHappyだったこともあったし、
そういう一つ一つの結果もそうですが、
一生懸命に取り組んだ日々の方が鮮明に覚えていて、とても誇らしいのです。
決して格好つけているわけではなくて。
あの高校時代があるから、私は今この仕事をしています。
番組を放送していて誰かから直接点数をつけられることはないけれど、
内容が届いているか、想いは伝わっているか、常に考えながら喋っています。
どうか、今日残念な結果だった生徒たちにも、前を向いてほしい。
少なくとも私が聞いた練習のときは、個性あふれる愛情いっぱいの読みだった、
たくさん蛍光ペンで原稿にしるしをつけて、何度も自分の声を録音して、
どうやったら分かりやすいか、どうやったら情景が浮かぶか、
たくさんたくさん考えて自分の作品に仕上げたこと、
結果の向こう側=これからの人生の自信にしてほしい。心からそう思っています。
長くなりましたが、どうしても記しておきたくて。
by mikikasai819
| 2016-06-07 23:56
| はたらき(お仕事)
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