2005年 11月 09日
アナウンサー受験物語その3
ローマの休日と同じような気分を味わって、フィレンツェへ来ました。予定通りなら(笑)。
さて、日テレ最終面接の結果は?そしていよいよ地方局のアナ試験もスタートします。
続きをお読みください。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
4月15日。日本テレビ一般職最終面接。女子は12~13人。
こんなに絞られてきたのかと思った。社長を含む面接官はひたすら履歴書から質問する。
特別変わったこともなく終了。ちょっと拍子抜け。あとは結果を待つのみ。
翌日。翌々日。電話は鳴らない。1週間は待ってくださいといわれたものの、
今までなら面接したその日に通過の知らせが来たと思うと、
いてもたってもいられなかった。
そわそわしながら、4月18日。中国放送のアナ試験で広島に飛ぶ。
飛行機遠征スタートだ。
内容は「少年の『キレる』ことについて」のディスカッション。とんぼ返りで東京へ。
4月19日。NHK筆記試験である。
事前に書類選考で受験者を半分に減らしているのにまだ1万人以上いる様子。
広島の疲れからか私は風邪を引き、絶不調な状態で受験。
おまけに、試験会場で出会った友人から
「日テレの内定者って今日呼び出しかかったらしいね」と言われ、
完全に日テレとの縁が切れたことを知る。電話を待っていてもこないわけだ。
しばらく力が出なかった。
しかし、原点に戻って考え、やはり自分の当初からの目標であるアナウンサーを目指そう、
夏までは地方局を受け続けようと決心した。
4月26日。東北放送(宮城)1次面接。
アナウンサーという職業への想いを心から伝えたのに
「君はアナ職を勘違いしている」と断言され不通過。
5月2日。西日本放送(香川)1次面接。アナを別枠採用にしていないせいか、
私だけパステルカラーのスーツ。異常に目立つ。筆記も行う。通過。
5月5日。北日本放送(富山)1次試験。ラジオブースで原稿読み1分間のみ。
その場で合否が言い渡されるという過酷なものだったが、通過。
その場で宿泊費をもらい、その日は富山に泊まる。
翌日5月6日にそのまま2次試験。昨日たくさんいた受験者が22人になっていた。
筆記のあとカメラの前で原稿読み。昼をはさんで再びカメラテスト。
ディベートと自己PRをした。結果は皆が集まったところで発表。私を含め11人通過。
隣の席に座っていた人は、泣きながら荷物をまとめて部屋から出ていった。つらい。
翌日5月7日、そのまま3次試験。5対1の面接。30分間かなりじっくり質問される。
部屋の情景描写の課題が全くできず、
「惜しいなぁ。昨日原稿しっかり読めていたのに」といわれ、いやな予感がする。
夕方4時半、この日は番号が張り出された。私の番号はなかった。
局をあとにして富山駅で号泣した。つらすぎた。明日最終だったのに。
5月10日。読売新聞筆記。これが運よく通過し14日に面接をしたが、
テレビの一般職のとき以上に志望動機がめちゃめちゃで不通過。
やはりほかの業種ではだめなのだ。しかし、私はひとつ大きな悩みを抱えていた。
最初から面接をしてくれる局ではいいところまで進むのに、
書類選考から始まる局ではことごとく落とされていたのだ。
これは悔しくて悲しくて仕方なかった。
そこで5月中旬、おもいきって別の写真館で取り直しをした。
するとこれが大成功で、よく書類が通るようになったのだから努力は惜しむべきではない。
TO BE CONTINUED・・・
さて、日テレ最終面接の結果は?そしていよいよ地方局のアナ試験もスタートします。
続きをお読みください。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
4月15日。日本テレビ一般職最終面接。女子は12~13人。
こんなに絞られてきたのかと思った。社長を含む面接官はひたすら履歴書から質問する。
特別変わったこともなく終了。ちょっと拍子抜け。あとは結果を待つのみ。
翌日。翌々日。電話は鳴らない。1週間は待ってくださいといわれたものの、
今までなら面接したその日に通過の知らせが来たと思うと、
いてもたってもいられなかった。
そわそわしながら、4月18日。中国放送のアナ試験で広島に飛ぶ。
飛行機遠征スタートだ。
内容は「少年の『キレる』ことについて」のディスカッション。とんぼ返りで東京へ。
4月19日。NHK筆記試験である。
事前に書類選考で受験者を半分に減らしているのにまだ1万人以上いる様子。
広島の疲れからか私は風邪を引き、絶不調な状態で受験。
おまけに、試験会場で出会った友人から
「日テレの内定者って今日呼び出しかかったらしいね」と言われ、
完全に日テレとの縁が切れたことを知る。電話を待っていてもこないわけだ。
しばらく力が出なかった。
しかし、原点に戻って考え、やはり自分の当初からの目標であるアナウンサーを目指そう、
夏までは地方局を受け続けようと決心した。
4月26日。東北放送(宮城)1次面接。
アナウンサーという職業への想いを心から伝えたのに
「君はアナ職を勘違いしている」と断言され不通過。
5月2日。西日本放送(香川)1次面接。アナを別枠採用にしていないせいか、
私だけパステルカラーのスーツ。異常に目立つ。筆記も行う。通過。
5月5日。北日本放送(富山)1次試験。ラジオブースで原稿読み1分間のみ。
その場で合否が言い渡されるという過酷なものだったが、通過。
その場で宿泊費をもらい、その日は富山に泊まる。
翌日5月6日にそのまま2次試験。昨日たくさんいた受験者が22人になっていた。
筆記のあとカメラの前で原稿読み。昼をはさんで再びカメラテスト。
ディベートと自己PRをした。結果は皆が集まったところで発表。私を含め11人通過。
隣の席に座っていた人は、泣きながら荷物をまとめて部屋から出ていった。つらい。
翌日5月7日、そのまま3次試験。5対1の面接。30分間かなりじっくり質問される。
部屋の情景描写の課題が全くできず、
「惜しいなぁ。昨日原稿しっかり読めていたのに」といわれ、いやな予感がする。
夕方4時半、この日は番号が張り出された。私の番号はなかった。
局をあとにして富山駅で号泣した。つらすぎた。明日最終だったのに。
5月10日。読売新聞筆記。これが運よく通過し14日に面接をしたが、
テレビの一般職のとき以上に志望動機がめちゃめちゃで不通過。
やはりほかの業種ではだめなのだ。しかし、私はひとつ大きな悩みを抱えていた。
最初から面接をしてくれる局ではいいところまで進むのに、
書類選考から始まる局ではことごとく落とされていたのだ。
これは悔しくて悲しくて仕方なかった。
そこで5月中旬、おもいきって別の写真館で取り直しをした。
するとこれが大成功で、よく書類が通るようになったのだから努力は惜しむべきではない。
TO BE CONTINUED・・・
by mikikasai819
| 2005-11-09 23:37
| でんき(昔の出来事)
|
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