局アナ試験の喜怒哀楽

もう、8年も前になるんだなぁ・・・としみじみするのが
局アナ試験です。
私の第一希望は当然、中学時代の衝撃のきっかけとなったTBS。
いわゆるラジオテレビ兼営の放送局に行きたかったのです。
もちろん玉砕でした。
東京のキー局なんて、ほんの数人しか入れない、
一瞬で実感できましたね(苦笑)。

東京の次は大阪。準キー局です。
ここでもことごとく・・・いえ、ひとつだけ、
私の人生を大きく変えてくれた局がありました。
よみうりテレビです。
それまで書類落ちや1次面接落ちだった私が
初めて1次面接・2次面接と通過し、
大阪でのアナウンス講習会(という名の採用試験)まで
進むこととなったのです!!
うれしかったなぁ・・・。
そしてこのよみうりテレビでの2泊3日の中で
かけがえのない出会いもありました。
みんなで一緒に大阪の街に飲みに行ったなぁ。
「ライバル」なんだけど、そのときだけは
同じアナウンサー志望の「仲間」って感じでした。
新幹線で帰京する前に、
公衆電話から結果を聞くんですけど、
「残念ながら・・・」といわれているその後ろで、
「俺の合否も聞きたいから電話変わって」なんていってる人もいて。
結局、ここでの仲間はほとんどが
他局でちゃんとアナ採用されたから
優秀だったということなのでしょう。
大阪・名古屋・岡山・鳥取・徳島・そして群馬・・・
バラバラになるまで、
みんなで夏に花火したり、誕生会したり、
本当に楽しかった・・・。青春♪

まあ、大阪以外でも富山の北日本放送のときも
何人かでボウリングやカラオケ行って楽しかったぁ。
秋田でとまった「ホテルハワイ」っていうビジネスホテルも
アナ受験者ばかりで修学旅行みたいで楽しかったなぁ。
ニッポン放送で出会った友達とは
家で宴会?をして、牛タンゲームして、楽しかったなぁ。
(ちゃんと試験に集中しろ!!って?)

もちろん楽しい思い出ばかりではなく、
つらい方が多かったです。

4日間の試験日程が組まれた中
1日ごとに少しずつ落とされていくシステムで、
順調に残っていた3日目に、とうとう自分の名前を呼ばれなくて
「そのまま荷物をまとめてお帰りください」といわれたこと、

1ヶ月間、香川まで飛行機で通いまくって、
最終試験まで残ったのは私ともう一人だけ・・・、
なのにその局はなんとどちらも採用しなかったこと、

試験の部屋で咳がとまらず苦しそうな人に
「大丈夫?」と話しかけたら、
気づかぬうちに風邪をうつされて、
その風邪引いてた本人が合格していたこと(涙)・・・、

今となってはすべてが懐かしいです。
局アナ試験のおかげで、
日本全国に出かけられたのもよかったかな。
でも、あの過酷な試験日程、もう一度やりたいとは思いません(笑)。

※そういえば、牛タンゲームの飲み会の場で、
友達から「FMぐんま、今年採用試験あるよ!」と教えてもらったのでした。
私の運命はこの日が握っていたのですね。
ここに居合わせなかったら今はありませんから。すごいっ!!!
# by mikikasai819 | 2005-08-04 23:59 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

昨日の続きです。
読んでいない方は、ご面倒ですが、下にスクロールさせて
前の日の文章からお読みください。

・・・アナウンサーになると決めたのは高校2年の時でした。
そもそも中学時代、私の身近な夢は、
高校に入ったらバンドを結成する!というもので、
当然、手っ取り早く、軽音楽部に入るつもりでした。
ところが、私の入学した共立女子高校(東京・神田)には、
なんと、軽音楽部がない!!!!
そ、そりゃ、お嬢様の学校に
バンドはふさわしくないイメージかもしれないけど(苦笑)、
私はプリンセスプリンセスにあこがれているんだい!!と
先生に懸けあったりもしましたが、無理でした。
傷心の私の目に飛び込んできたのは、一筋の光。

ああ、その光は赤い・・・。

ん?

それは、「放送中」のランプ。

放送室から聞こえる楽しそうな声。

ふらーっと吸い込まれるように放送室に入った私を待っていたのは、
先輩方の勧誘。
「アナウンスや朗読の力がつくよ」
「ひとつの番組を作ったあとは達成感あるよ」
「あっ、合宿は運動部と違って楽しいよ」
そして見せられた合宿風景のビデオ。
みんな仲良くテニスをしたり海に入ったりお風呂に行ったり花火したり。

洗脳完了(笑)。
でもね、極めつけはやはり
「今なら人数少ないからマイクの前にすぐ座れるよ」
という言葉が効いたと思います。(爆笑)

ここで3年間、アナウンスをはじめ、
番組制作に命をかけることになりました。
いやー、この楽しさは、放送部に入らないとわかりません。
(→次の年、先輩となった私の、後輩への口説き文句そのもの!)
しかもラッキーなことに我が共立女子高校は、
全国大会を目指す力のある伝統校だったのでした。
数々の賞を頂いて、やる気は最高潮!
私、絶対アナウンサーになる。そう心に決めた高校生の夏でした。

決めてからは一直線。

アナウンサー以外は考えられない!というのが大学生活でした。
早稲田大学入学直後、人生の大きな転機。
それは、教職課程をとるべきかやめるべきか。
ずっと小さいころから先生という職業も興味がありましたから、
当然資格は取ったほうがよかったのかもしれません。
それでも、4年後のアナウンサー試験のことを考えると、
教育実習と重なってしまうだろうと予測ができてしまい、
早稲田駅の書店でさまざまな本を立ち読みして情報を入手して
迷いに迷って・・・・教職取得はやめたのでした。
それがよかったのか悪かったのかわかりません。
教育実習に行って
黒板を前に自分らしい授業を展開するのも楽しそうでした。
でも、これで正式にアナウンサーを目指すということが
自分の中で確固たるものになったのでした。

まあ、こういうわけで、教育学部出身なのに教職をとっていないのです。
ちゃんと考えて決めたことなのですよ。(言い訳?)

そう考えてみると、
局アナからフリーになって就業環境は変わりましたが、
アナウンサーという仕事に対する想い・・・、
ちゃーんと大切にしなくては、昔のみきちゃんに怒られますね(笑)。
# by mikikasai819 | 2005-08-03 10:22 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

アナウンサーっていいなぁと漠然と思ったのは小学3~4年でした。
たぶん、人前で話すことが好きだったからです。
国語の授業などで、よく先生が教科書読みを当てますよね?
あれ、ひそかに祈ってました。

「あたりませんように」ではなく「あててくれますように」って・・・。(笑)

ただの目立ちたがり屋?そういうことではありません。たぶん(汗)。
実際、声に出して読むと理解できることは多々ありました。

そうそう、思い出しますが、
その当時通っていた英語教室で自己紹介を習ったとき、
I Want to be a teacher or announcerといった記憶があります。
教室のみんなは、夢は1つだけしか言ってなかったのに、
私はやはり優柔不断・・・というか欲張りで、
「or」なんて単語を先生に習って、両方言っていたのでした。
アハハ・・・。
小学校の文集には1つしか書く欄がなかったので、
迷った挙句、先生と書いたのも鮮明に覚えています。


さて、アナウンサーになりたいと本格的に思ったのは中学1年でした。
このころ、私はお小遣いでラジカセを購入!
今思えば、とてもシンプルなラジカセでしたが、
念願かなって手に入れたものでした。

部屋にこもって、まず、いろいろいじってみます。
(説明書読むのは昔から苦手だった私・・・苦笑)
自分で好きな曲を聞ける、自分で好きな音を録音できる・・・
うれしさいっぱいの中で、偶然押したスイッチ、
それがラジオの電源だったのです。
これは画期的でした。
そして、そこで初めて耳にしたのが、
「ポップンルージュ」というトーク番組。

(あー、懐かしい。今この番組のタイトルを打っただけで
懐かしすぎて鳥肌が立ってきた)

ここでトークをしていた人が、
次の日、テレビでニュースを読んでいました。
あれ?タレントさんじゃないの?

さらに別の日は、どこかの会場から
イベントの司会らしきことをしていました。
あれ?こんなこともするの?

そうです、その番組のDJは、
TBSの長峰由紀アナウンサーだったのです。
(当時はまだ新人だった)
それを知ったときの私の衝撃はものすごいものがありました。

「アナウンサーってすごい」

ニュースだけじゃない、
いろいろな分野で活躍できる、
自分で話すことも、人から話を聞きだすことも、
時には自分で企画進行することも・・・
欲張りな私にはこれしかない!

しかし中学2年のときの進路指導の授業では
まだ私は「将来の夢:先生」という作文を書いていたのでした。

・・・って長くなりすぎたから今日はここまで。
# by mikikasai819 | 2005-08-02 23:55 | でんき(昔の出来事) | Comments(2)

立ち上げちゃいました。

ようやく決心しました。
ブログ、立ち上げました。
こうして、公式でWebに文章を載せるのは、
局アナを辞めた日・・・2002年12月31日以来です。
あれから、2年と8ヶ月の月日が流れ、
今こうして、「河西美紀」は再び、
公の皆様に向けて、文章を書いていくことに決めました。

・・・って大げさ?(苦笑)

・・・っていうか、知人以外の人から言わせると、
「誰、あなた?」っていう人ばかりでしょう・・・。

私は、群馬のFM局で、1999年4月から2002年12月まで、
アナウンサーをしていた者です。
朝・昼・夜の番組と、短い期間の中でも
中身の濃い仕事をしてきました。
退社後は、フリーで活動しています。
といっても、ここまでなかなか這い上がれずに、
ドロドロしてたこともありましたが。
人間、山あり谷ありを経験したほうが大きくなるのさ!と
自分に言い聞かせ、今に至ります。

局アナ時代には、肝心の放送はもちろんですが、
もしかするとそれ以上に力を入れていたのが、毎日の日記でした。
PCを開いてくれるリスナーのために、あれこれネタを書きました。
これがなかなか好評で、個人的にもやりがいがあって。
なにしろ、会社時代は、Web担当の方がしっかりいらっしゃったので、
私はただ思いついたことを綴っていればよかったのも事実です。

実は、退社後も何かあるたびに、
「よし、ここらでHPを立ち上げよう!」と何度も思いました。
しかし、いざ、やってみようと思っても
HPの作り方がわからない・・・
本をたくさん買ってはみたもののちんぷんかんぷん・・・
友達に相談したいけど、どんな内容にするのか決められない・・・
そもそも、本名を出して、プライバシーは保たれるのか・・・
いや、フリーで働いていくんだから、プロフィール載せないでどうする・・・
流行りのブログならできそう・・・
でも、完璧なものが出来上がるまでは待とうかな・・・
立ち上げはいつにしよう・・・
1月1日がいいかな・・・いや、4月1日かな・・・いやいや、誕生日かな・・・
(永遠に続く)

こんな優柔不断な私、2年8ヶ月もかかりました。
(かかりすぎ!!!)
当時、私の担当番組を聴いてくださっていた群馬の皆様には
「河西さん、やめてもどこかでHPつづけてくださいね」と
何度励まされたことか。
でも、2年8ヶ月の間に、きっと忘れ去られてしまったでしょう。
(どこかで再会できるとうれしいですけどね)
ううっ。群馬・・・懐かしや・・・
自分の完璧主義のせいで、スタートの1歩が遅くなってしまった・・・。

まあ、そんな反省を踏まえて、
まずブログは立ち上げよう、
そして、少しずつ少しずつHP化を進め、
ビジネスにつなげられるようにしよう!と心に決めた次第です。

注意:これを読んでいる企業の皆様、個人の皆様、
私はアナウンスの仕事に関しては決して優柔不断ではありません。
しっかりと職務を全うしておりますので、ご安心ください。
むしろ、人間味あふれるアナウンスをご提供すると
思っていただければ幸いです!?
(苦しい・・・でしょうか!?)

何はともあれ、スタートです。
8月1日。まもなく歳をとる私のスタート。
いろいろ書いていきたいと思います。
久しぶりで、腕が鳴るぅぅ♪
(ただ、公開するのは、あの日まで待とうと思います。
あの日・・・それはもうすぐやってくる、Xデー・・・)
# by mikikasai819 | 2005-08-01 15:50 | やるき(決意・反省など) | Comments(5)
元ラジオ局アナで今はフリーで活動中、河西美紀(かさいみき)のげんき・やるき・ほんきのつぶやき。

by mikikasai819
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