眠れない夜を抱いて

私は日ごろから夜遅く朝遅い生活をしていたため(!)、
ヨーロッパに旅行したからって時差ボケなんてありえない、
とにかく寝まくれば解消される!と思っていました。

が・・・

眠れない・・・・

2時になっても
3時になっても
4時になっても
5時になっても・・・

こうなってくると朝が怖い・・・
変な時間に寝てしまうと逆に明日に支障が出る・・・・

イタリア旅行で学んだことといえば、
朝食を優雅にかつシンプルにかっこよくとること(笑)。
パン・カマンベールチーズ・ハム・紅茶・・・近くのスーパーで、即、買い揃えた(笑)。
(カタチから入る典型的人間)
初日が肝心。最初から寝坊してしまっては続かない(涙)。
(最初でコケるとやる気を失う典型的人間)
絶対絶対、明日のBreakfast(イタリア語ではcolazione)は実行するぞー!!
そのためにも早く寝なきゃ。

そう思うのに、睡魔が全くこない。

結局帰国した日と翌日は、ほとんど眠れませんでした。
まあ、そのおかげで朝食は目を血走らせながらも実行できました(笑)。

そして、昨日。
もちろん仕事はしましたよ。
速報!スポーツTVのナレーション、日経のセミナー司会、
途中、イタリア語学校にも行きましたから、3つの予定をちゃんと遂行いたしました。

寝ていないのであれば当然どこかで眠く・・・ならない!!!!!!

おかしいなぁ。
こうなると、これって時差ボケというのではないなぁ。
このまま一生寝ないのかな(そんなわけはありえない)。

そう思いながら、昨夜はお酒の力も借りてぐっすり。
気づけば10時半。あー、よく寝たー。
・・・って寝すぎです。

おや?colazioneは?

・・・・
 ・・・・
  ・・・・

そ、そういえば、余談ですが、
小さい頃は、眠れないと恐ろしくて、よく「眠れないー」と半べそをかきながら
テレビを楽しそうに見ている大人たち(両親・祖父母)の元へ駆け寄ったものでした。

すると母は「それじゃ、音楽かけてあげるね」とねじ巻きオルゴールをかけてくれました。
余計眠れませんでした(爆)。
だって、ねじ巻きだからそのうち音楽がだんだんゆっくりになってきてしまって
いつ止まるか考えたら・・・ねぇ(笑)。しかも音楽が悲しげで・・・。

祖母は「足の親指をマッサージすると眠れるよ」といいました。
祖母がやってくれると眠気が来るのですが、
布団に戻って自分でやると全くだめでした(爆)。

祖父は「大丈夫だよ大丈夫だよー」とニコニコするだけ。
おじいちゃーん(涙)。助けてー。

そして父も「大丈夫」と。しかし、その次の一言。
「眠れないなら起きてればいい。一晩くらいじゃ死なないから」。

子供に対してこの対応、すごい・・・(笑)。
でも、確かに安心したことを覚えています。

ちなみに、本日のタイトルは懐かしいZARDの歌です。
(ありましたよね、こういう曲?)

さーて、今日こそ旅行記をアップさせたいなー。
(眠れなかったなら深夜書けばよかった!?)
# by mikikasai819 | 2005-11-17 11:35 | にっき(日々の出来事) | Comments(0)

負けず嫌いとはいってもねぇ・・・

今日から出勤。久々にニュース原稿を手にし、公式日本語?を話しました。
ロッテがアジア王者になっていて、感慨深かったりもしました(笑)。

そんな中、イタリアモードから少しずつ
ニッポンモードにしなくてはならないなーと思っていたら、
今日はまさに、紀宮さまご結婚のニュース。

今テレビで見ている19時のニュースで38分間流れていました。
それにしてもご学友っていろいろいらっしゃるのですねー。
それと、気になったのは、
「紀宮さま」という言葉を噛んでいるキャスター・記者が多かったこと。
しかも一度ではなく何度も耳にしました。
言いづらいのはわかりますが、本日の主役ですし、人の名前ですし、
特に皇室とあらば、一番気をつけるべきだと思うんですけどねー。

そういえば、皇室というと、ちょっと笑っちゃう小さい頃の話があります。
ここのところ昔話ばかりでごめんなさい。

・・・幼い頃、「大きくなったら何になりたい?」と聞かれますよね。
私も例外なく聞かれました。
幼稚園年長組のとき、クラスの担任の先生もこの質問をしました。
周りの女の子は「お花屋さん」「ケーキ屋さん」などとかわいい発言をしていました。
うんうん、なるほど。
私はなりたくなかったですが、納得していました(笑)。
納得できなかったのは、「およめさん」。これも多かったのです。
およめさんは大きくなったら誰でもなれるから、そんなのを夢にするなんて!と
幼心に思っていたかさいみきちゃん。
それは恐れ多い大きな間違いだと大人になってから気づくのですが・・・(汗)。

さて、私の番が回ってきそうだという時です。
ある男の子(名前は覚えていません)が堂々と言い放ちました。

「僕はおいしゃさんになりたいです。」

みんながおおっとどよめきました。

す、すごいぞ・・・。
こりゃやばい・・・。

私は焦りました。
なんか医者よりもっとすごいものを言いたい!と。(なぜ?笑)

うーん・・・。
よし!ひらめいた!

「はーい、それじゃ、みきちゃんは何になりたいのかな?」


医者よりすごいものってなんだろう・・・
笑顔で答えた将来の夢とは・・・

「てんのう!!」



・・・・・・・・・・


「・・・みきちゃん、あのね、えっと、天皇にはなれないのよ」

先生が困った顔で励ますと、すぐ、


「じゃあ、バスガイド!」


・・・・・・・・・・


もっと「総理大臣!」とか段階があるだろうに!?この差は何だ?
我ながら、本当に、子供の発想ってすごい・・・。

こんなエピソードが思い出されるのでした。
それにしてもいつもこの話をすると、友人に
「本当にすごいよ、みきちゃんって」と苦笑されます・・・。

というわけで、紀宮さま、心からおめでとうございます。
(つながりがまるでない・・・)

旅行記は明日以降・・・。
# by mikikasai819 | 2005-11-15 19:46 | でんき(昔の出来事) | Comments(3)

帰国いたしました

いやー、イタリアから帰ってまいりました。
成田で第一報を携帯から送りたかったのですが、充電切れ・・・。

ブログはちゃんと更新されていたようですね♪
実は、マイ アシスタント?のKAYOさんに頼んでいたのでした。
Grazie mille!!(本当にありがとう)

イタリアの話はまた改めて・・・。

いや、疲れているわけではなくて、
むしろ時差ボケで目がギラギラしているんですが(苦笑)、
とりあえずゆっくりしてみたいと思います。

あっ、家に帰って玄関開けて部屋を見てびっくり。

部屋がきれい・・・。

出発前に少し掃除していったのだと思い出して、
我ながら偉い!と思ってしまいました(笑)。
あまりに汚いと疲れが倍増してしまいますからね・・・。

それでは、まずは帰国報告でした。
# by mikikasai819 | 2005-11-14 21:37 | りょこうき(旅の記録) | Comments(2)

アナウンサー受験物語その5

イタリア旅行も本日で最後。ベネチアで必死に買い物!・・・などはせず
優雅に過ごしているはず(笑)。

さて、アナ受験物語も、今日でファイナルです。
河西アナウンサーは誕生するのでしょうか。(しらじらしい書き方ですね・・・)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

6月になった。まず、6月4日に2通の封筒が届いた。西日本放送の最終はだめだった。
しかも、2人残っていたうちのもうひとりもだめだったらしく、
採用ゼロだと思うと、複雑な気持ちだった。
しかし、もう1通のK-MIX(静岡FM)は通過。
6月11日。静岡FM最終試験。4人残っていた。再度筆記と実技。
体が衰弱していてつらかった。面接ではやはりイントロテストの結果の悪さを指摘された。
結局、最終落ち。
6月18日。FM群馬最終試験。5人残っていた。面接は3対1。
今までの局と違い、最初の質問は私の友人関係など、人間関係の深さだった。
実技は原稿読み、フリートークのほか、実際の番組のようにFAX紹介などもした。
自分を素直に出せた面接だった。
終始会社の人は温かく、とてもいい感触だった。
6月23日。FM群馬から電話が入った。
「合格です」
長かった。フジテレビの試験から半年以上経っていた。
しかし、アナウンサーになれたのだ。
数々のマスコミを受け挫折した。自分に何が足りないんだろうと毎日悩んだ。
書類で落とされ歯がゆい想いをした日々。
最終試験で落とされ立ち直れそうもなかった日々。
本当にいろいろなことがあった。
しかし、月並みだが夢はあきらめなければ叶うと思う。
アナウンサーは花形で難関で・・・と尻込みせず、
ラジオでもテレビでも自分を最大限出してほしい。
最後にひとこと。全国各地を受験する中で出会った仲間と、
活動を支えてくれた家族に心から「ありがとう」。ひとりでは絶対就職活動は乗り切れない。
皆さんも周囲と助け合いながら是非頑張ってほしい。
そして、容姿だけで売るのではない、中身の濃いアナウンサーになってほしい。
私もこれからが本当のスタートだ。  Fin  

最後に補足!
実は、この文章は最初に書いたように、マスコミ就職読本という書籍に載ったものなので、
原稿の字数に制限がありました。よって、途中、かなり省略しているところがあります。
大きなところでは、6月に入って山形放送や秋田放送の受験で現地に行っています。
山形放送に関してはとても苦い思い出があります。
試験終了後、「合格した方には後日連絡しますね」といわれていたのです。
そして、数日後実際かかってきたのです。
母が電話に出て「みき!電話、電話!きたわよ!!」と小躍りでつなぎます。
喜んで受話器を握ってみると「残念ながら・・・」という台詞。
そりゃないぞー!!!!天国から地獄とはまさにこのこと・・・。
この試験で風邪をうつされて、山形新幹線の中で悪寒がしていたことも重なり、
体調は急降下で悪化(苦笑)。2~3日寝込みました。
電話を取り次いだ母も私をさすがに不憫に思ったのか泣いていました。
秋田放送は最終試験まで行きましたが、合格には至らず。
FM群馬が決まったとき、他にも福井放送・宮崎放送・大分朝日放送など
選考に残っていたのですが、内定が出た時点で終了と思っていたので、
これをもって、河西美紀の就職活動は幕を閉じたのでした。

長々とありがとうございました。明日、帰国予定です。
# by mikikasai819 | 2005-11-13 21:39 | でんき(昔の出来事) | Comments(5)

アナウンサー受験物語その4

竹野内豊の面影を追い求めたフィレンツェをあとにして(こらこら・・・)、
ベネチアに到着!旅はうまくいっていることでしょう、たぶん(笑)

それでは本日もめまぐるしいアナ受験物語です。いろいろな県がでてきます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

5月16日。西日本放送2次面接。また高松へ。4対2。
「香川の局でいいの?」「高松のどこが気に入った?」など、地域的なことを聞かれた。
調べた甲斐あり。通過。
5月18日。熊本朝日放送の面接。通過。
5月19日。文化放送筆記。事前にテープ審査があり4分の1に絞られていたらしい。
気合入れたが不通過。
5月23日。熊本朝日放送筆記。東京支社で行われた。英語がたくさん出た。不通過。
5月26日。西日本放送最終面接。アナ志望者は私を含め2人しか残っていない。
正直これはかなり期待できる。午前中カメラテストで午後面接。
もうひとりの女の子は香川(地元)の人で私は東京。ここが大きなポイントだと思ったが
全力を尽くした。
5月27日。東京に戻って静岡放送面接。不通過。
静岡県の局も今年はほとんど募集がない。
5月29日。テレビ西日本筆記試験のため福岡へ。
この局は最初から筆記を行うため人数が多い。
しかもアナウンサー枠は既に決まっているという説もあった。不通過。
5月30日。K-MIX(静岡FM)。新幹線で浜松へ。テープ審査で16人になっていた。
テープで通るのはうれしい。筆記とフリートーク実技。
たくさんの単語が並べられていて、その中から好きな3つを組み合わせて喋るというもの。
その日に偶然買った新聞がお役立ちで、上手に話せた。
K-MIXでは、なんと音楽のイントロ当てテストもあった。
洋楽は1問も解けない。0点だ!その日は浜松から熊谷の友人の家に移動。
宿泊させてもらう。翌日の試験のためにスタンバイ。
5月31日。FM群馬。ここもテープ審査で20人ほどになっていた。同じく筆記と実技。
FM2局に共通していたのは、テストを受けていて心からトークを楽しめたという点だ。
のびのびと自分を出せるのが魅力だった。こうして5月が終わった。
TO BE CONTINUED・・・
# by mikikasai819 | 2005-11-11 22:11 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

アナウンサー受験物語その3

ローマの休日と同じような気分を味わって、フィレンツェへ来ました。予定通りなら(笑)。

さて、日テレ最終面接の結果は?そしていよいよ地方局のアナ試験もスタートします。
続きをお読みください。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

4月15日。日本テレビ一般職最終面接。女子は12~13人。
こんなに絞られてきたのかと思った。社長を含む面接官はひたすら履歴書から質問する。
特別変わったこともなく終了。ちょっと拍子抜け。あとは結果を待つのみ。
翌日。翌々日。電話は鳴らない。1週間は待ってくださいといわれたものの、
今までなら面接したその日に通過の知らせが来たと思うと、
いてもたってもいられなかった。
そわそわしながら、4月18日。中国放送のアナ試験で広島に飛ぶ。
飛行機遠征スタートだ。
内容は「少年の『キレる』ことについて」のディスカッション。とんぼ返りで東京へ。
4月19日。NHK筆記試験である。
事前に書類選考で受験者を半分に減らしているのにまだ1万人以上いる様子。
広島の疲れからか私は風邪を引き、絶不調な状態で受験。
おまけに、試験会場で出会った友人から
「日テレの内定者って今日呼び出しかかったらしいね」と言われ、
完全に日テレとの縁が切れたことを知る。電話を待っていてもこないわけだ。
しばらく力が出なかった。
しかし、原点に戻って考え、やはり自分の当初からの目標であるアナウンサーを目指そう、
夏までは地方局を受け続けようと決心した。
4月26日。東北放送(宮城)1次面接。
アナウンサーという職業への想いを心から伝えたのに
「君はアナ職を勘違いしている」と断言され不通過。
5月2日。西日本放送(香川)1次面接。アナを別枠採用にしていないせいか、
私だけパステルカラーのスーツ。異常に目立つ。筆記も行う。通過。
5月5日。北日本放送(富山)1次試験。ラジオブースで原稿読み1分間のみ。
その場で合否が言い渡されるという過酷なものだったが、通過。
その場で宿泊費をもらい、その日は富山に泊まる。
翌日5月6日にそのまま2次試験。昨日たくさんいた受験者が22人になっていた。
筆記のあとカメラの前で原稿読み。昼をはさんで再びカメラテスト。
ディベートと自己PRをした。結果は皆が集まったところで発表。私を含め11人通過。
隣の席に座っていた人は、泣きながら荷物をまとめて部屋から出ていった。つらい。
翌日5月7日、そのまま3次試験。5対1の面接。30分間かなりじっくり質問される。
部屋の情景描写の課題が全くできず、
「惜しいなぁ。昨日原稿しっかり読めていたのに」といわれ、いやな予感がする。
夕方4時半、この日は番号が張り出された。私の番号はなかった。
局をあとにして富山駅で号泣した。つらすぎた。明日最終だったのに。
5月10日。読売新聞筆記。これが運よく通過し14日に面接をしたが、
テレビの一般職のとき以上に志望動機がめちゃめちゃで不通過。
やはりほかの業種ではだめなのだ。しかし、私はひとつ大きな悩みを抱えていた。
最初から面接をしてくれる局ではいいところまで進むのに、
書類選考から始まる局ではことごとく落とされていたのだ。
これは悔しくて悲しくて仕方なかった。
そこで5月中旬、おもいきって別の写真館で取り直しをした。
するとこれが大成功で、よく書類が通るようになったのだから努力は惜しむべきではない。
TO BE CONTINUED・・・
# by mikikasai819 | 2005-11-09 23:37 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

アナウンサー受験物語その2

カプリ島を満喫し、ポンペイを見てから、今日はローマに移動です。順調なら(笑)。

さて、アナ受験物語の続きです。落とされてばかりの河西さん、光は見えてくるのか・・?

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

3月3日。読売テレビ1次面接。3対3で起立したままの面接だった。
それぞれに異なる質問が飛ぶ。解答する瞬発力が試されたようだ。
私は「最近見た映画は?」「橋本首相をどう思う?」
「今日の自分の服装は何点?」などと聞かれた。面接官は終始無表情で怖かった。
心配したが、通過!面接に通ったのは初めてだった。
3月17日。読売テレビ2次面接。朝一番の集合。待ち時間に原稿(短文)を渡される。
2対3。まず原稿読み。そのあと漢字の読みテスト。
10個ほどの単語が並んでいたのだが、私は奇跡的に全部正確に読むことができた。
最後に、読売テレビに対する質問はあるかと聞かれて終了。
漢字が読めたことですがすがしい気持ちになった。
同日に、15時から日本テレビ一般職1次面接。
アナではないし、志願者が1万5千人という噂を聞いたので、
気負わず自然体で面接しようと決めて臨んだ。2対2。
この面接での質問は志望書に沿った事項のみ。
途中から私にばかり質問が集中したのがわかった。興味をもってくれたようだ。通過!
面接で通る喜びを感じた。
それから2日後。お昼過ぎに携帯電話が鳴った。
「読売テレビですけれども・・・」
心臓が爆発しそうになった。通過していた。
3月23~25日。読売テレビアナウンス講習会(という名の試験)。大阪の本社にて。
初日は健康診断と面接、筆記。2日目は原稿読み練習。
現役アナウンサーの指導を受ける。
最終日はカメラテスト。本物のスタジオ。フリートークも原稿読みも自分なりに頑張った。
結果はその日の夜に自分から合否確認の電話をすることになっていた。
・・・不通過だった。
帰りの新幹線の中では、アナウンス講習会で知り合った仲間同士、
NHKの書類の話で持ち切り。気持ちの切り替えは最重要事項だ。
それでもやはり悔しかった。
3月26日。日テレ一般職2次面接。まだたくさん人が残っていた。2対1。
私は報道志望だったので、報道のあり方やこれからのメディア等、
少しカタい内容で突っ込まれたが通過。
3月31日。日本テレビ学生フォーラム(という名の試験)。集団討論と面接。
「10日後に宇宙人が地球に来る」という設定で日本政府の対応策を議論。
あまり積極的に参加できず落ち込んだが通過。
日テレ一般職の好調さとはうらはらに、名古屋のテレビ局は書類で全滅。
北海道はもともと採用なしの局ばかり。改めてアナウンサー試験は厳しいと実感。
4月5日。日本テレビ筆記。この時点で500人くらいか。
企画力や発想の豊かさが問われた。テレビ映像も使ったりするなど、
とにかく楽しかった。結果はなんと通過。・・・信じられない。
アナウンサーにもなりたいが、東京のキー局、しかも、
今最も勢いのある日本テレビで本当に報道ができたら・・・と考えるようになった。
4月9日。日本テレビ局長面接。人事の方にも覚えてもらえるほどの人数になった。
7対1。報道志望なのにバラエティやワイドショーなど、全く異なるジャンルについて
聞かれた。たくさん笑われた記憶がある。局長面接も通過。次はいよいよ最終面接だ。
4月14日。午前中NHKの予備面談。午後、九州朝日放送の音声テスト。
原稿読みのあといくつか質問がきたので手ごたえを感じたが、不通過。
そして、4月15日。日本テレビ最終面接の日がやってきた。 
TO BE CONTINUED・・・

しかし、今日はおまけで補足!(笑)

日テレの局長面接で笑われた理由の1つは強烈に覚えています。
面接官:「履歴書の“乞うご期待 このきなんのきかさいみき”というフレーズ面白いね。」
私:「ありがとうございます!
面接官:「ところで、このきなんのきのCMに出てくる木はどこにあるか知ってる?」
私:「・・・?」
面接官はニヤニヤ。
私:「(あー、まずいなー、そこまでは調べてなかった。)」
面接官:「どう?」

私:「えっと、外国です!!!!!(真剣)」

面接官7人全員が大爆笑。
私:「あは・・・は。(つられて愛想笑い)」
面接官:「いいねー、君。面白いよ。次回までに調べておいで」
私:「はい!!!(なんかよくわからないけど、結果オーライだ!)」

こんな感じでした。この台詞でなぜ爆笑が起こったのか、私にはいまだ謎です。以上。
# by mikikasai819 | 2005-11-07 01:45 | でんき(昔の出来事) | Comments(2)

アナウンサー受験物語その1

今頃、私はパリ経由でナポリに着いて、カプリ島に向かっているところです。たぶん(笑)。
(これを書いているのは出国前の日本なので)

さて、今日から5回に分けてお送りするのは、私のアナウンサー受験記です。
これは、「創」という出版社が出しているマスコミ就職読本というものに
「アナウンサーめざしての東奔西走 Kさん/早大 ラジオ局内定」として
実際に掲載されたものです。なんだか、すごそうでしょ?(笑)。
8年も前の話なので、今とはだいぶ違いますが、
アナウンサー受験って、なかなか皆さんの周知しないところなので、
この機会にこのブログで紹介してみたいと思います。
へえ、こんな風に動いていたのかーと思っていただけたら幸いです。
なお、大学生のときの私が思いつくままに書いた文章なので、
稚拙なところが多々ありますが、そのまま修正せずに、
本に載ったままのものでお送りします。ご了承下さい。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「やっぱりアナウンサーは顔だよねぇ」
この類の台詞を何百回も耳にしてきた。
しかし、私はその常識を絶対打ち壊したかった。
高校時代、放送部に所属し、
アナウンスの技術が全国大会に届くレベルだったこともあり、
純粋に自分の声で勝負したいと思ってきた。
そして、昔ながらの夢であった「アナウンサー」になるため、
半年間東奔西走することとなった。

1月12日。私の就職試験はこの日のフジテレビから始まった。
書類配布と聞いていたのだが、いきなりその場で書類を書かされ面接へ突入した。
面接では、なぜアナを志望するのか聞かれた。
私は「視聴者とのコミュニケーションを大切にしたいからです」と答えたのだが、
「あー、そういう答えは今後やめたほうがいいよ」と即答された。
今考えると、コミュニケーションという単語自体、全く自分の言葉になっていなかった。
当然不通過。
おまけに大雪のせいで風邪も引いてしまった。最悪の幕開けである。
フジテレビを筆頭に、1~2月は東京キー局のオンパレード。
大学の後期試験もあるというのに志望書を書くのは本当に大変だった。
何度も何度も書き直した。
その結果、日本テレビとテレビ東京は書類落ちだったが、
TBSとテレビ朝日は面接を受けることができる運びとなった。素直に喜んだ。
2月3日。テレビ朝日1次面接。フジの失敗が頭の片隅にあり、
今度はウケを狙った自己PRをした。
「元気いいね。声も大きいしね。」とほめてもらったが、電話は鳴らない。
2月5日と6日はニッポン放送セミナーだ。
これも、書類で通った者のみが対象で、初日はアナウンサーの方々の話を聞く。
これが非常によかった。ラジオの魅力を実感した。
2日目は集団面接。3対3で私はトップバッターだった。
終始雑談だったとはいえ盛り上がったが不通過。
2月24日。TBS1次面接。
「あっ、日テレで会ったよねー!」「テレ朝の最終どうだったー?」
この頃になると、キー局の面接会場は他局で仲良くなった人たちが多く、私は心細かった。
書類が通る人は決まっているということか。
原稿読みはしっかりできたがTBSも不通過。あっという間に東京の民放は終わった。
しかし休む間もなく大阪=準キー局がスタートしてしまう。
今年は関西テレビのアナ採用がなかった。
毎日放送はまさかの書類落ち。選んだスナップ写真が悪かったかなぁと反省。
2月27日。朝日放送1次面接。事前に家で履歴書を作成して持参する。
面接は流れ作業的で、1分間しか話してもらえなかった。不通過。
夕方からフジテレビ一般職の1次面接。
アナの時と同様、その場で書類を書かされ面接へ。
2対2。私のブースは圧迫面接で笑顔ひとつ出なかった。
記念受験の友人が受かっていたのに私は不通過。
よっぽどフジには縁がないようだ。
TO BE CONTINUED・・・
# by mikikasai819 | 2005-11-05 16:00 | でんき(昔の出来事) | Comments(3)

いってきます!

いよいよ搭乗です。たのしんできます。 成田空港にて。
# by mikikasai819 | 2005-11-04 21:34 | Comments(0)

スーツケースとにらめっこ

いよいよ、イタリア旅行前夜です。
既にスーツケースは成田に向かって旅立ちました(笑)。
明日も普通に仕事をしてから出国するため、
持ち歩くのを避けるという理由があります。
そんなわけで、昨日まではスーツケースの前で悪戦苦闘。
こういうときも、「足りないものがあったら現地で何とかすればいいじゃん!」と
思えないのが私の悪いところ・・・。
あれこれ詰め込みすぎて、気づいたらスーツケースが閉まらない!!
おいおい、行く前からお土産入れるところが何もないよ!!
嘆きながらやり直しをすると、部屋中が洋服であふれかえり、
収集がつかなくなり、通知表での整理整頓Cという思い出がよみがえる・・・(苦笑)。
コンタクトレンズのケア用品、化粧品類の蓋が取れて
スーツケースの中がぐちゃぐちゃ・びちゃびちゃになったらどうしよう・・・と
心配してみたりして、疲れまくってしまいました。
なんとかしたい、この心配性な性格!
そんなわけで、午前中、無事に宅配便のお兄さんに託せたときはホッとしました。
(どうか、ちゃんと運んでくださいね・・・←どこまでも心配性)

ところで、イタリアに行っている間(10日間)、
このブログを凍結しておくのは非常に寂しいなと思いました。
しかし、PCは持参しないため、旅行記を現地から更新することは致しません・・・。
そこで、2日に1回のペースで、とある文章を連載しようと思います。
その文章は22歳のときに私自身が書いたものです。
小説ではありません。興味がない方はごめんなさい。
・・・ってもったいぶっていると墓穴を掘りそう(苦笑)。
とりあえず、イタリアとは全く関係ない文章が更新されますが、
よろしかったら私が日本に不在の間も、
「このきなんのきかさいみき」を見守っていてください。よろしくお願いいたします!
# by mikikasai819 | 2005-11-03 23:45 | にっき(日々の出来事) | Comments(0)

元ラジオ局アナで今はフリーで活動中、河西美紀(かさいみき)のげんき・やるき・ほんきのつぶやき。


by mikikasai819
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