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このき なんのき かさいみき

アナウンサーの体重管理

テレビに出てくるアナウンサーは、小顔できれいで、足もほっそりしていて・・・
これは涙ぐましい努力があるようです。
アナ受験仲間が内定を取ったとき、
「入社までに3キロやせて。逆に太ったら内定取り消すよ」なんて
脅されたとか言われてた記憶があります・・・。
テレビの画面だと、通常より若干太って見えるんですね。
だから、タレントさんなどで細すぎる人は、
きっと本物をみたら、風で飛ばされそうなほどかもしれません!?

さて、ラジオで働いていた河西アナウンサー。
体重は・・・と申しますと、人生の中で大きく変動しました。
(あっ、わざわざ数字は発表しませんよ。残念でした!)

中学校まではとにかくやせていて、ガリガリ状態。
軟式テニス部で真っ白なスコートで走り回っていたときは
カモシカのような足でした。
(まあ、そのかわり、出るべきところも出ていないという・・・)
高校で放送部に入り、
運動をやめて、放送室で友人とお菓子をいっぱい食べたら
ちょっと太りましたが、
それでも実は、高校生という一番太る時期なのに、
ダイエットということを考えたこともない程度。
大学までは基本的にやせていたといっていいでしょう。

ところが、いざ、社会人・・・

極度の不規則生活が待ち構えていました。

朝番組の本番(つまり、ひと仕事)を終えて食べるお弁当・・・AM9時半
午前中の取材・準備が長引き、一息ついて食べるコンビニ弁当・・・PM2時
残業終えて、空腹の限界、ラーメン屋に駆け込む・・・深夜0時過ぎ

・・・・・なんだ、これは。

これはあくまで一例。毎日がこんなにひどくはありませんが、
それでも、今考えると、信じられない食事です(涙)。
一人暮らしをしていたのですが、
家に帰ってきてご飯を作るという気力もなければ材料もない・・・
夜は99.99999%、外食でした。
(ぐんまの食べ歩きという本を制覇する勢いでしたから。
おかげで和・洋・中・その他・・・詳しいですよ、私)

まあ、そんなことをしていれば、太ります。
ストレスも溜め込んでしまっていた私の体は、
気づけば大学卒業時より、なんと7キロ増・・・

合言葉は「テレビじゃないし、ラジオだからいいや」でした。
(ああ、今思うと恐ろしい・・・汗)

しかし!!今の時代、テレビでなくても面は割れるのですよ、奥さん!!
インターネット。これは参りました。
どんな人が喋ってるのかなって思ったら、
すぐホームページで検索できてしまう世の中です。
ラジオは、基本的にはあまり姿を見せないほうがいいと思うんですけどね。
(そういえば、中学時代聞いていたラジオのパーソナリティー岸谷五朗が
テレビに初めて出てきたときは、なんともいえぬ衝撃でしたね・・・)
そして、極めつけは、公開放送!!!
皆様の前で生放送をすることも多くありまして、
ここで太っている私をさらけ出さなくてはなりません。

「いつも聞いてます!(うわっ、結構河西さんって・・・)」
なんて思ってるリスナーさんも居たことでしょう。
実際にメールで
「河西さん、思ったよりぽっちゃりしていて予想と違いました。
あっ、でも、ファンですよ」なんていただいたこともありました。

このメールの分析すると
●ぽっちゃりという単語。ストレートに言わないところが突き刺さる(笑)
●あっ、でもという逆説。フォローコメントがまたまた突き刺さる(笑)

・・・・・なさけない。

まあ、そんなわけで、
退職してから何よりも先に手がけたことは体重を戻すことでした。
神様は私を見捨てていなかった!
私が群馬時代最後の取材に行ったところが
なんと国際エステティシャンの養成学校だったのです。
(偶然ですよ、偶然)
高崎校がオープンしたということで出かけました。
そこの校長先生がとても素敵な方で、
私はすべての取材が終わってから切り出したのです。
「あのー・・・、わたし、この取材を最後に、東京に帰ることになりました。
それで、個人的にエステに興味があるのですが、
やっぱりどこもお高いんでしょうねぇ」と。
そうしたら、なんと、東京校の校長先生を紹介してくださって。
そこから、私のエステ生活がスタート。
しっかり体重は元に戻りました。
体重というよりは、体のラインが重要みたいです。
しばらくして群馬に遊びに行って「やせた?」といわれるのが
楽しみでもありました。(単純!)

今でもその先生にはお世話になっています。
リラックスしたいときなど、本当に、駆け込み寺状態です(笑)。
でも、また食生活が乱れてきて、おなかの肉が気になりだしたから
そろそろ本腰入れて引き締めなきゃ。えい!えい!(気合入れてます)

さーて、体重計にのってこよう~








「ぎゃーっ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(F.O)
# by mikikasai819 | 2005-08-13 12:46 | でんき(昔の出来事) | Comments(2)

校歌の効果

高校野球が始まっています。
今、プロ野球を毎日観戦する仕事をしていますが、
正直高校野球の動向についてはあまり詳しく見ていません。
ただ、群馬代表前橋商業が初戦を突破したのは
しっかりチェックしていましたよ。
FM群馬在職中は、
県大会のスタンドリポートや、アナウンス指導など、
何かといろいろ高校野球に携わることができました。
ギラギラした太陽の下、少しだけ日焼けを気にしながら
「次はどの人にインタビューしようかな」と
目をギラギラさせて様子を窺っていたのを思い出します。
(キラキラって書きたいところですが、必死さをアピールしました・・・笑)
アナウンス指導というのは
マネージャー向けの場内アナウンス講習です。
放送部向けの指導と異なり、
みんながみんな話すの大好き!という人ではないため、
どうやってモチベーションを高めて教えるか、腕の見せ所です。
ちなみに東京出身の私、高校野球東京代表に関しては、
あまり思い入れはありません。
女子高だったからかな?
(共立女子高校時代、もし早稲田実業が甲子園に行ったら、
その当時は男子校だったので、チアリーダーが必要だろう、
そうしたら近くの我が校に応援要請がかかるんじゃないか・・・と
一部でささやかれていました・・・!?
そんなことあるわけない!笑
っていうか、チアリーダー、やる気?って突っ込みがきそう・・・笑
私は、ブラスバンド希望ということで。いや、選手希望かな?!)

さて、本日のタイトルはシャレではなく、
甲子園で2回の攻守交代の時にかかる校歌のあり方についてです。
以前は、勝ったチームの校歌が試合終了後に流れるのみでした。
個人的に、私はこれでよかったのではないかと思っているのです。
確かに、せっかく出場できたのだから、
両校の校歌を流すこともいいことのように思えますが、
それよりも、勝ったものにしか味わえない喜びという点で
絶対、以前のほうがよかったと思うのです。
私がもし選手だったら、やはり勝って校歌にジーンとして、
勝利の味に浸って、スタンドまで一直線に笑顔で走っていきたい、
そして、負けたとしても、
相手の校歌を聞きながら思いっきり悔し涙を流したいと思うのですが。
何でも「平等」は違うと思いたいのですが。
どうお考えでしょうか?

※そうそう、校歌が2回に流れているとき、
アルプススタンドの様子がテレビに映し出されるのですが、
案外、みんな、自分の学校の校歌、覚えてませんね(笑)。
特に、スタンドの野球部員。
ノリノリで歌っている人を見たことがありません。
恥ずかしいからなのかなぁ・・・いや、違う気がするなぁ。
ちなみに、どの学校にも
ノリノリでメガホンたたいている人はいますけど(笑)。
# by mikikasai819 | 2005-08-11 23:55 | にっき(日々の出来事) | Comments(0)

今日は、「待望の赤ちゃん誕生!」となった友人の家にお邪魔してきました。
私の周りで6~7月でパパ・ママになった方がとても多くて、
そのうちの1人なのですが・・・
結論から申しまして、本当に幸せな気持ちになりました。
初めて見るママとしての顔。
彼女は、ミルクをあげるのもオムツをかえるのも手際よく、
何よりもそのひとつひとつが嬉しそうだったのです。
そして、なんといっても、お子さんがキュート♪
私は、赤ちゃんの手のひらフェチだということを実感しましたね(笑)。

そんな私は、第一印象だと
「子供に厳しそう」とか「クールそう」と一部に誤解されますが、
事実無根!!!(声を大にして)
むしろ、子供に戻って一緒に楽しんでしまうタイプです。
赤ちゃんのときの記憶はさすがにないので、戻れませんが(苦笑)。
よく、おなかの中にいたときの記憶が
なんとなくある気がするという人もいますが、
そういうのって素直にうらやましい!

ちなみに、私の小さい頃の最初の記憶は、
3歳のときに近所のデパートで迷子になって
実は冷静に家まで帰ろうと試みたのに
(「試みる」って3歳児に似合わない単語!)、
帰り道に犬がいたため怖くてその前を通れず
デパートに引き返し、知らないおばさんと
おもちゃ売り場にいたことですね・・・(苦笑)。
私が見つからず警察沙汰になっていたとあとから聞いて、
なかなかすごい子供だと我ながら思いました。
・・話が脱線した!
脱線ついでに、そのデパートがあったところは、現在、
♪ショップ キュッキュ キュッキュキュキュ!♪♪でおなじみの99円ショップ、
SHOP99の本社になっています(笑)。
(あれ、地元の企業だったと知って驚きました)

まあ、何はともあれ、また友達の家に遊びに行って
彼女と彼女の娘さんに
幸せを分けてもらおうと心に決めたのでした♪
(でも幸せすぎて、仕事に行くのがちょっとつらかったぁ(苦笑)。)
# by mikikasai819 | 2005-08-09 23:58 | にっき(日々の出来事) | Comments(0)

夕方、スポーツアイの仕事に行く前に、
千駄ヶ谷で無性にのどが渇き、喫茶店に入りました。
普段、私が頼むのはコーヒー(しかもアメリカン!)。
夏場だとアイスコーヒーのこともありますが、
まあ、間違いなくコーヒーです。(そしてブラック!)
ところが、このとき、メニューの中に
「抹茶アイスラテ」という単語を見つけてしまいました。
優柔不断な私、さらにちょっと甘いものが足りなかった私、
「ご注文をどうぞ」といわれてから、
急速に頭に血がのぼり始めました。

「絶対コーヒー!甘いものはダメ!」
『たまには抹茶!生クリームものってるぞ!』

右から左からサラウンドで声が聞こえます。
(・・・って空耳(笑)!!!)

結果、勢いで「(えーい)抹茶アイスラテ!」となりました。
(   )の中は心の中です。

さて、今日お話したいネタはその抹茶アイスラテではなくて(苦笑)、
そのあとのこと。

私:「領収書お願いします」
(最近はお仕事の際の飲食については、
領収書を頂く癖を付けているのです。)

店員:「お名前は?」

私:「河西です。さんずいの「かわ」に、とうざいなんぼくの「にし」です」
(いつも自分から率先して説明する癖がついています・・・笑)

すると、店員は

「えっと、個人の方には領収書はお出しできないんです。
会社名はありますか?」

と言うではありませんか!

私:「え!?」
個人といっても、別に家計簿のためにもらうわけではなく、
仕事としてなのに、何故?
領収書発行拒否は初めてだったのでちょっと面食らいました。
結局レシートをしっかり頂くにとどまりましたが、
他に対応の仕方はなかったのか、調べてみようと思います。

追記:抹茶アイスラテはですね・・・ほとんど残してしまいました。
   隣の子供が「あの緑の飲み物がいい!」と私の手元を指差していて、
   「お姉さんのあげようか?」って本気で思っちゃいました(笑)。
   次は迷わず、アメリカンにします。
# by mikikasai819 | 2005-08-08 23:59 | にっき(日々の出来事) | Comments(0)

渋谷でまったり。

今日は、日中、妹と渋谷のカフェでランチしてきました。
妹は私とは正反対の性格です。
雰囲気も全く違います。
妹の学生時代の夢は、
「適当に2~3年働いて結婚する」というものだったと記憶しています(苦笑)。
間違っても「アナウンサー志望!」というタイプではありません。
ひとり旅などをこよなく愛し、
どんどんいろいろ企画する私と異なり、
お金があればブランド品に費やしたり、
おしゃれに積極的だったり・・・と
身内が言うのもどうかとおもいますが、
見た目は私の100倍かわいいです。
(100っていう数字は微妙だな・・・)
そんな妹と仲良くこうしてゆっくり話せるようになったのは、
ごく最近のことなのです。
しかし、血がつながっている姉妹というのは、
究極のところこうも理解しあえるものなのか!と、
いまさらながら驚いています。
本当にいつもいつも衝突してばかりだったのに、
今は誰にも話せないようなことも、スムーズに語れたりします。
そういう雰囲気をお互いかもし出しているのかもしれません。

あっ、今日行った渋谷のカフェは、
マンションの1室で穴場って感じでした。
よくよく思い出せば、その付近に、
12年ほど前カラオケBOXがあって、
テスト明けなどに立ち寄ったりしていたはずなのですが
(先生、すみません!時効にしてください!)
今は影も形もありませんでした。
私の記憶違い?!いや、そんなことはないはず。
時代とともにどんどん街もかわるのですね・・・。しみじみ。
# by mikikasai819 | 2005-08-07 23:02 | にっき(日々の出来事) | Comments(0)

さて、ここまで毎日なんとか書いているブログです。
「今のあなたはどんな生活をしているんだ!」という声が聞こえそうなので、
フリーになってからの動きを赤裸々に説明してみたいと思います。
(そして、明日からは、日々の普通のつぶやきにしていきたいなー。)

FMぐんまを退社したのが2002年12月。
局アナ生活は3年9ヶ月でした。
短い?
しかし、前回書いたように、
入社早々からパワー全開でありとあらゆることをしてきたので、
キー局などでいう7~8年分の経験をしたと自負しています。

そんな私、退職してから半年は、家に引きこもっていました(苦笑)。
リセットして始めようと思っていたのに、
復活の呪文を途中で忘れた・・・みたいな感じ?
(ドラクエ好きな人、懐かしい?)
自分に自信が持てなくて、1歩が踏み出せなくて、次の段階に行けなくて、
オーディションのための履歴書を書いては捨て
また書いては捨て・・・という毎日を送っていました。

そんな時、実は、ストレスで心臓に負担がかかっていることが判明。

ちょっとまったー!!!
このままでは終われない!!
家でくすぶってるなら、何か新しい分野で動こう!

そう思って、門をたたいた先は、
なんとマスコミとは全く関係のない、人材派遣会社!!
ここで、派遣会社に登録に来る方への説明をする
受付担当に採用していただいたのです。
派遣は初めてという不安そうな方に、
特徴をわかりやすく説明するというこの仕事は、
私にとっても大きな収穫でした。
そしてここでたくさんのすばらしい仲間と出会えて、
元気を取り戻すことができました。
その会社はビー・スタイルといいます。←主婦の方、Wワーカーの方必見!
あと、実は家庭教師などもしていました。
久しぶりに頭を使って中学生に数学・英語(時には理科!)も
教えていました。先生になりたかったくらいの私ですから、
こちらも手を抜かずがんばっていましたよ。
無事、2人の生徒を第一希望に合格させました。

アナウンス関連では、
気象会社ウェザーニューズで、ラジオの天気キャスターを半年。
これが台風の当たり年だったので、毎日ドキドキでした。
自分で原稿を書いていたので、少し天気に詳しくなりましたね。
それから、日本経済新聞主催、
「女性のためのキャリアセミナー」「就職活動生向けのセミナー」の
司会のお仕事もいただきました。
高校時代の友人がきっかけで出会えたお仕事です。
現在は、スポーツアイネットワークという
スポーツ専門の放送局で、
「速報スポーツTV」という携帯コンテンツがあるのですが、
その中の「プロ野球ハイライト」のナレーションをしています。
これについてはまた追って書きたいと思いますが、
群馬時代の知人がきっかけで出会えたお仕事です。
あとは、友人中心ではありますが、結婚披露宴の司会をしています。
最近はちょっとこの「ウェディング」関連で
司会以外のところでもアドバイスするプランも考えています。

人とのつながりが重要だなぁって、フリーになって心から思います。
フリーアナウンサーって、単語だけで考えれば、
テレビに出ている有名な方々もそう。私もそう。
でも、仕事があるとないとで大違い。
なかなか仕事がなくてあせっていた時、
先輩のフリーアナウンサーから
こんな言葉で励ましてもらいました。

「フリーなんだからどんなことだって自由にできるのよ。
アナウンス以外のことだって、両立したっていいのよ。
思いついたこと、あれこれやってみればいいのよ。」って。

確かに。そのとおり。

アナウンサーの仕事を
いい加減に考え始めたわけでは決してありません。
でも、テレビに出て有名になることが幸せではない。
ちやほやされることが成功ではない。
自分が必要とされているところで
必要な力を発揮したい。そう、強く思うようになったのです。
そう思うと、我ながら視野が広くなったかな。
今、番組を持ったら
もっと違うトークができるんだろうなぁって思います。

そんな現在の私です。
# by mikikasai819 | 2005-08-06 18:54 | はたらき(お仕事) | Comments(0)

FMぐんまではありとあらゆる仕事をしました。
最初のデビュー(初鳴きという)は交通情報と天気予報。
3スタとよばれるスタジオで、1人でこもって行う約4分間。
CDをセットして、交通情報センターに電話して、
天気予報の原稿を何度も確認して、
すごい形相でその時間を待っているわけです。
生放送ですからね、始まってしまったら、
もう自分で何とかしなくてはいけないのです。
誰の助けも呼べません。
提供クレジットを間違えないように、時間をオーバーしないように、
リスナーにわかりやすいように・・・と、いろんなことが頭をぐるぐる回り、
それでも最後にマイクのカフ(フェーダー)を下げて
一息ついたときは、初鳴きの達成感でいっぱいでした。
スタジオを出ると、先輩社員のみなさまが
「おつかれさま」と拍手で迎えてくださって。
え?間違いはなかったかって?
ひとつだけ。
降水確率0%のところを「ゼロ」と読んでしまいました。
本当は「レイ」が正解です。
(これは、いろいろなところで話題になります♪
私とこの話をしたことある人、いるでしょう?ゼロだと英語読みなのです。)

まあ、こうして、私のアナウンサー人生、本格的にスタートしました。

しかーし、スタートしたら後戻りはできず(苦笑)、
新人とは思えないような仕事量!
地方のラジオ局ですから研修などはほとんどありません。
即戦力となって働かなくてはいけません。
入ってすぐ朝の情報番組のレギュラーパーソナリティー。
とてもとてもうれしいのですが、とてもとても責任重大。
まず朝の出勤。私が行かなきゃ番組は始まらない。
いや、逆だ!私を待たずに放送時間はきてしまう!
会社に行ってまずやるのは、新聞読み。
各社の新聞(スポーツ紙)をすべて目を通して、芸能コーナーで扱う記事を選んで、
デスクから渡されたニュース原稿をチェックして、番組宛のお便りをチェックして、
中継アナウンサーとの確認があったりして、現在の気温を気象台に電話したりもして、
これらを1時間弱ですべて行います。

いざ始まるとあっという間の1時間半。
新人アナといえども、聞いているリスナーにとっては私の立場は立派なプロです。
信頼されなくてはならない。期待を裏切りたくない。
この気持ちは忘れないようにしていました。

そうそう、1年目で担当した忘れられない番組は、
K-1ファイター宮本正明さんと一緒に進めた
「ゴールドラッシュ」というものでした。
エントリーしたリスナーにスタジオから電話をして、
キーワードがいえれば現金があたるという、いたってシンプルな企画なんですけど、
そのキーワードがなんとも濃かったり、
宮本さんの下ネタ攻撃に耐えなくちゃならなかったり(笑)。
それこそまだ新人だから、
うまくかわせない、真に受けてしまう、
でも局アナなんだから一緒に騒ぎすぎてはだめ、
2時間の生放送中、気が気ではありませんでした。
それでも一生懸命さを評価してもらったときは素直にうれしかったなぁ。
何より、リスナーが「やった!当たった!」と喜んでいる様子が
ラジオを通してよく伝わってくるときは、最高でしたね。
これだよ、これ。
テレビ全盛期の今でも、欠かせないラジオエンターテインメントだよ!
そう思いながら、マイクの前にいました。

それにしても宮本さん、元気かなぁ。
そういえば・・・ゴールドラッシュのとき度肝を抜いた出来事が。
番組の冒頭・・・

宮「えー、今日一緒に番組を進めるのは、新人アナの河西美紀ちゃん!」
私『はい、よろしくお願いしますっ!』

宮「彼女は、そうだねぇ・・・鈴木あみに似ています」

※!?☆●?

・・・ちょ、ちょっと!!似てないよ!!!!!宮本さーん!!!

ラジオって怖い!
そんな冗談が数々のリスナーにイメージを作らせ、
実際にご対面する機会があったときに相当の落胆を与えるのでありました・・・。

文章がまとまりませんが、これで今日は終わります(苦笑)。
# by mikikasai819 | 2005-08-05 23:59 | はたらき(お仕事) | Comments(0)

局アナ試験の喜怒哀楽

もう、8年も前になるんだなぁ・・・としみじみするのが
局アナ試験です。
私の第一希望は当然、中学時代の衝撃のきっかけとなったTBS。
いわゆるラジオテレビ兼営の放送局に行きたかったのです。
もちろん玉砕でした。
東京のキー局なんて、ほんの数人しか入れない、
一瞬で実感できましたね(苦笑)。

東京の次は大阪。準キー局です。
ここでもことごとく・・・いえ、ひとつだけ、
私の人生を大きく変えてくれた局がありました。
よみうりテレビです。
それまで書類落ちや1次面接落ちだった私が
初めて1次面接・2次面接と通過し、
大阪でのアナウンス講習会(という名の採用試験)まで
進むこととなったのです!!
うれしかったなぁ・・・。
そしてこのよみうりテレビでの2泊3日の中で
かけがえのない出会いもありました。
みんなで一緒に大阪の街に飲みに行ったなぁ。
「ライバル」なんだけど、そのときだけは
同じアナウンサー志望の「仲間」って感じでした。
新幹線で帰京する前に、
公衆電話から結果を聞くんですけど、
「残念ながら・・・」といわれているその後ろで、
「俺の合否も聞きたいから電話変わって」なんていってる人もいて。
結局、ここでの仲間はほとんどが
他局でちゃんとアナ採用されたから
優秀だったということなのでしょう。
大阪・名古屋・岡山・鳥取・徳島・そして群馬・・・
バラバラになるまで、
みんなで夏に花火したり、誕生会したり、
本当に楽しかった・・・。青春♪

まあ、大阪以外でも富山の北日本放送のときも
何人かでボウリングやカラオケ行って楽しかったぁ。
秋田でとまった「ホテルハワイ」っていうビジネスホテルも
アナ受験者ばかりで修学旅行みたいで楽しかったなぁ。
ニッポン放送で出会った友達とは
家で宴会?をして、牛タンゲームして、楽しかったなぁ。
(ちゃんと試験に集中しろ!!って?)

もちろん楽しい思い出ばかりではなく、
つらい方が多かったです。

4日間の試験日程が組まれた中
1日ごとに少しずつ落とされていくシステムで、
順調に残っていた3日目に、とうとう自分の名前を呼ばれなくて
「そのまま荷物をまとめてお帰りください」といわれたこと、

1ヶ月間、香川まで飛行機で通いまくって、
最終試験まで残ったのは私ともう一人だけ・・・、
なのにその局はなんとどちらも採用しなかったこと、

試験の部屋で咳がとまらず苦しそうな人に
「大丈夫?」と話しかけたら、
気づかぬうちに風邪をうつされて、
その風邪引いてた本人が合格していたこと(涙)・・・、

今となってはすべてが懐かしいです。
局アナ試験のおかげで、
日本全国に出かけられたのもよかったかな。
でも、あの過酷な試験日程、もう一度やりたいとは思いません(笑)。

※そういえば、牛タンゲームの飲み会の場で、
友達から「FMぐんま、今年採用試験あるよ!」と教えてもらったのでした。
私の運命はこの日が握っていたのですね。
ここに居合わせなかったら今はありませんから。すごいっ!!!
# by mikikasai819 | 2005-08-04 23:59 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

昨日の続きです。
読んでいない方は、ご面倒ですが、下にスクロールさせて
前の日の文章からお読みください。

・・・アナウンサーになると決めたのは高校2年の時でした。
そもそも中学時代、私の身近な夢は、
高校に入ったらバンドを結成する!というもので、
当然、手っ取り早く、軽音楽部に入るつもりでした。
ところが、私の入学した共立女子高校(東京・神田)には、
なんと、軽音楽部がない!!!!
そ、そりゃ、お嬢様の学校に
バンドはふさわしくないイメージかもしれないけど(苦笑)、
私はプリンセスプリンセスにあこがれているんだい!!と
先生に懸けあったりもしましたが、無理でした。
傷心の私の目に飛び込んできたのは、一筋の光。

ああ、その光は赤い・・・。

ん?

それは、「放送中」のランプ。

放送室から聞こえる楽しそうな声。

ふらーっと吸い込まれるように放送室に入った私を待っていたのは、
先輩方の勧誘。
「アナウンスや朗読の力がつくよ」
「ひとつの番組を作ったあとは達成感あるよ」
「あっ、合宿は運動部と違って楽しいよ」
そして見せられた合宿風景のビデオ。
みんな仲良くテニスをしたり海に入ったりお風呂に行ったり花火したり。

洗脳完了(笑)。
でもね、極めつけはやはり
「今なら人数少ないからマイクの前にすぐ座れるよ」
という言葉が効いたと思います。(爆笑)

ここで3年間、アナウンスをはじめ、
番組制作に命をかけることになりました。
いやー、この楽しさは、放送部に入らないとわかりません。
(→次の年、先輩となった私の、後輩への口説き文句そのもの!)
しかもラッキーなことに我が共立女子高校は、
全国大会を目指す力のある伝統校だったのでした。
数々の賞を頂いて、やる気は最高潮!
私、絶対アナウンサーになる。そう心に決めた高校生の夏でした。

決めてからは一直線。

アナウンサー以外は考えられない!というのが大学生活でした。
早稲田大学入学直後、人生の大きな転機。
それは、教職課程をとるべきかやめるべきか。
ずっと小さいころから先生という職業も興味がありましたから、
当然資格は取ったほうがよかったのかもしれません。
それでも、4年後のアナウンサー試験のことを考えると、
教育実習と重なってしまうだろうと予測ができてしまい、
早稲田駅の書店でさまざまな本を立ち読みして情報を入手して
迷いに迷って・・・・教職取得はやめたのでした。
それがよかったのか悪かったのかわかりません。
教育実習に行って
黒板を前に自分らしい授業を展開するのも楽しそうでした。
でも、これで正式にアナウンサーを目指すということが
自分の中で確固たるものになったのでした。

まあ、こういうわけで、教育学部出身なのに教職をとっていないのです。
ちゃんと考えて決めたことなのですよ。(言い訳?)

そう考えてみると、
局アナからフリーになって就業環境は変わりましたが、
アナウンサーという仕事に対する想い・・・、
ちゃーんと大切にしなくては、昔のみきちゃんに怒られますね(笑)。
# by mikikasai819 | 2005-08-03 10:22 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

アナウンサーっていいなぁと漠然と思ったのは小学3~4年でした。
たぶん、人前で話すことが好きだったからです。
国語の授業などで、よく先生が教科書読みを当てますよね?
あれ、ひそかに祈ってました。

「あたりませんように」ではなく「あててくれますように」って・・・。(笑)

ただの目立ちたがり屋?そういうことではありません。たぶん(汗)。
実際、声に出して読むと理解できることは多々ありました。

そうそう、思い出しますが、
その当時通っていた英語教室で自己紹介を習ったとき、
I Want to be a teacher or announcerといった記憶があります。
教室のみんなは、夢は1つだけしか言ってなかったのに、
私はやはり優柔不断・・・というか欲張りで、
「or」なんて単語を先生に習って、両方言っていたのでした。
アハハ・・・。
小学校の文集には1つしか書く欄がなかったので、
迷った挙句、先生と書いたのも鮮明に覚えています。


さて、アナウンサーになりたいと本格的に思ったのは中学1年でした。
このころ、私はお小遣いでラジカセを購入!
今思えば、とてもシンプルなラジカセでしたが、
念願かなって手に入れたものでした。

部屋にこもって、まず、いろいろいじってみます。
(説明書読むのは昔から苦手だった私・・・苦笑)
自分で好きな曲を聞ける、自分で好きな音を録音できる・・・
うれしさいっぱいの中で、偶然押したスイッチ、
それがラジオの電源だったのです。
これは画期的でした。
そして、そこで初めて耳にしたのが、
「ポップンルージュ」というトーク番組。

(あー、懐かしい。今この番組のタイトルを打っただけで
懐かしすぎて鳥肌が立ってきた)

ここでトークをしていた人が、
次の日、テレビでニュースを読んでいました。
あれ?タレントさんじゃないの?

さらに別の日は、どこかの会場から
イベントの司会らしきことをしていました。
あれ?こんなこともするの?

そうです、その番組のDJは、
TBSの長峰由紀アナウンサーだったのです。
(当時はまだ新人だった)
それを知ったときの私の衝撃はものすごいものがありました。

「アナウンサーってすごい」

ニュースだけじゃない、
いろいろな分野で活躍できる、
自分で話すことも、人から話を聞きだすことも、
時には自分で企画進行することも・・・
欲張りな私にはこれしかない!

しかし中学2年のときの進路指導の授業では
まだ私は「将来の夢:先生」という作文を書いていたのでした。

・・・って長くなりすぎたから今日はここまで。
# by mikikasai819 | 2005-08-02 23:55 | でんき(昔の出来事) | Comments(2)