東京にあるたくさんの駅のなかから五十音順に選んでその駅の周りを歩く
かさいみきのこのきなんのきまちあるき。
さあ、次は「ひ」から始まる駅です。
(9月9日放送分・・・)
1周目は東あずま(ひがしあずま)っていう東武亀戸線のコアな駅。
2周目は無難に東京メトロ日比谷線の広尾。
そして3周目の今回は、またまたコアな駅を選んでしまいました。
知っていたら個人的にかなり嬉しい。
私の生まれ育った街、私が結婚するまでずっと利用していた駅、
その名は、
一橋学園駅です。
西武多摩湖線っていう、単線。住所でいうと小平市です。
あー、河西さんのふるさと懐かしむ時間ですかー、はいはい、と思った方、
ちょっと待ってください。
私も今回初めて訪ねた、ずっと知らなかった場所、
是非行ってみて欲しい場所を今日はメインでご紹介しますので。
(マニアックな写真は放送後記で載せます)
まず一橋学園という駅は、その昔2つの駅だったものが合わさって生まれた名前です。
小平学園駅と、一橋大学駅です。
そう、一橋大学の最寄り駅は、一橋学園駅、でした。
96年春にはキャンパスが国立に統一されましたが、
以前は1,2年生は小平キャンパスで学んでいたのです。
よく学祭にも足を運びました。
今では小平国際キャンパスとして、
国際交流プラザやゲストハウスなどがあるほか、
放送大学の東京多摩学習センターが入っています。
その他、一橋学園駅を最寄りとする主な施設は、
陸上自衛隊の駐屯地、警察学校、国土交通大学校などでしょうか。
あと、北口南口ともに駅を出てすぐ昔ながらの商店街。
だいぶさみしくなりましたが、今でも健在です。
話戻しますが、駅そのものの特徴もあって駅構内に踏切があります。
よくギリギリに行くと閉まっちゃって焦っていました。
さて、先ほどお話しした、メインでお話ししたい場所、
それは、美術館なんです。
一橋学園駅から徒歩10分。
玉川上水の流れる緑あふれる地にひっそりと佇んでいます。
名前を、平櫛田中彫刻美術館といいます。
平櫛田中(ひらくしでんちゅう)さんは明治5年生まれ、
昭和54年に107歳で亡くなるまで、
彫刻界に大きな影響を与えた人で、文化勲章も受賞された方です。
どうしてその平櫛田中さんが小平?と思いますよね。
彼は長年台東区にアトリエを構えていたのですが、
97歳のときに小平に引っ越してきました。
つまり、邸宅の敷地の横に美術館、邸宅・庭園、そのものも開放されていて、
実に和風で静かで落ち着いた時間が流れているのです。
記念館は国立能楽堂を手がけた大江宏さんの設計による
書院造りの素晴らしい建物です。
訪れた時はお客さんは私だけで、 私だけのためにビデオ上映もしてくださいました。
彫刻に関して、知識もなければそこまで関心もなかったのですが、
その気持ちは覆りました。
作品に人柄は出るのだなと思います。
作品の解説も分かりやすく、一気に身近になりました。
平櫛田中さんの銅像は小平市役所の敷地にあって、
存在は知っていたのですが、
まちあるきに来たことで初めて詳しいことを知りました。
彼は数々の名言を残しています。
その中に、こういう一言があります。
今やらなきゃいつできる
わしがやらなきゃだれがやる
実に深いことばです。
100歳を超えてもなお、芸術品を生み出す気力を持ち続けた、
平櫛田中さんだからこそ言えるのでしょう。
ちなみに彼が100歳の時に20年後の制作のために取り寄せた彫刻用の原木も見ものです。
もちろん120歳まで生きる気でいたわけですよね。
では頭文字のまとめです。
ひ・・・久しぶりの我が故郷
と・・・当時はキャンパス賑わった
つ・・・続く商店街、北も南も
ば・・・晩年はここで。平櫛田中。
し・・・ 四季折々の花が出迎える
が・・・ 外観和風な終(つい)の住処(すみか)
く・・・ 国の宝の彫刻家
えん ・・・遠路はるばる行く価値あります
☆☆☆
ここからは放送でお話しなかったこと。
↓↓↓
さあ、写真で一気に我がふるさとを巡ります。
自己満足になってしまいますがすみません。
(こっちのほうがボリュームあるよ、絶対・・・。苦笑)
改めて、一橋学園駅。ホームからはこんな景色。
突き指したときよく通ったほねつぎ。
タバコ屋さんはお友達の親戚宅。
駅前には学園幼稚園。小さい頃、バザーに行ったなぁ。
駅の中に踏み切りパート2。南口はあまり使わなかったけど。
なぜなら我が家は北口だったから。さあ、改札を出てみましょう。
そうそう、その前に、実は、この日、突然雨が降ってきて困りました。
そのとき、思い出したのです。そういえば、ビニール傘販売の機械があったなぁって。
まだあるかな・・・あったあった!!!まさか使うことになるとは(苦笑)。
改めて、一橋学園駅北口。噴水広場があります。
いつも商店街を歩いて帰りました。
まずは学園一番街。
この付近では大きなスーパー、サンデーマート。よく買い物に来ました。
様相が変わったなぁ。マルエツ表記です。
懐かしいといいつつ、実は、先日プチ同窓会で使った居酒屋はなの舞(笑)。
どれだけ通ったか分からない、カラオケ。その名は「ダイナミックエコー」。
「ビックエコー」ではありません。「ダイナミック」です(笑)。
一橋学園在住の女の子がかわいい文房具を買うなら絶対ここだった!
ぽぴんずというお店。お誕生日会のプレゼントなどの調達場所でした。
まつみ書店。いつもここに吸い込まれてしまっていた、立ち寄り場所No1。
どれだけの本、どれだけの雑誌をここで買ったでしょう。
この商店街は、途中から「学園坂商店街」に変わります。
自分にとって、より身近な存在だ。知らない店はありません。
・・・そう、知らない店はないはずだったのに、2011年の今、すっかり様変わりしていました。
八百屋さん、お肉屋さん、お豆腐やさん、なつかしのお店は既になく、
なんだか新しい店が営業しているけど、ふしぎな感じがします。
「美紀ちゃん、お帰り!」っていつも声をかけてくれたおじさんのお店、
今はレンタルBOXとやらになっていました。
昔からやっていて今もがんばっているお店もちゃんとあります。
いつもおつかいを頼まれていた、目の前のショッピングセンターアサヒ。
ここのお店の子供たちといつも遊んでいました。
お隣の美容室マリーさん。七五三のときにお世話になりました。
商店街が全盛期の頃、各店舗のシャッターには世界の観光地の絵が描かれていて、
鳥のイラストも楽しそうに添えられていました。
今はもう色あせています。
でも、いい具合に時間を積み重ねたようにも、ちょっとだけ、見えます。
ちなみに、我が家も、既にお店はやめており、跡地は保育園に貸しています。
もう今はこの街には住んでいません。
でも、私は、この街で過ごせてよかったなと思っています。今の私の原点です。
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というわけで、長くなりました。お許しください。
次は「ふ」です。