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このき なんのき かさいみき

<   2009年 06月 ( 32 )   > この月の画像一覧

阿鼻叫喚

今日は、約2時間、耳鼻咽喉科の待合室にいました。
(人気の病院なのです)
子供連れが9割5分。みんな例外なく泣き叫んでいました。

「ママー」
    「怖いよー」
          「イヤだー」
                「ウワーン(。>0<。) 」


やっぱり耳鼻咽喉科って怖いよね。見た目も、診察機械も、音も。
よく分かる。私も経験あるもの。
生半可な泣き方じゃない。真剣そのもの。これぞ阿鼻叫喚。
気持ち、よく分かるよー。




でも、ずーーーーーっと途切れることなくみんなの泣き声を聞き続けていたせいか、
夜になっても、その余韻が耳の奥にあるのは想定外でした(苦笑)。

(さすがに2時間はキツかった)


みんな、ゆっくりおやすみなさい。










※今日は、声帯をファイバースコープで診てもらいました。
私はもうすっかり慣れてしまいましたが、やっぱり気持ちのいいものではありませんね・・・。
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by mikikasai819 | 2009-06-29 23:14 | にっき(日々の出来事) | Comments(2)

10年近い蓄積

毎年この時期に行われる私立中学高校創作ダンス発表会のお仕事で、
武蔵野市民文化会館に行ってきました。

舞台袖から感じることというのは、毎年少しずつ変化があります。
それは踊っているのは毎年「高校生」でも、喋っている私は1つずつ確実に年齢を重ねているからです。

夢を追いかける輝きと、ひとつのことに一生懸命になる素晴らしさ。
嬉しさに飛び跳ねたり、悔しさに涙する、素直な感情。
みんなで作り上げる達成感、仲間を思いやる友情。

今年もたくさんの刺激をいただきました。本当に感謝です。

※諸事情ありまして、今年は、いつものように充分な貢献ができませんでした。
心苦しい状況のなか、運営の先生方は笑顔で私に接してくださいました。
そして、当然のように「来年もよろしくねー」と。
きっと、私が学生のころから関わっているイベントだからです。
かれこれ10年近く、私はこの大会の進行に携わらせていただいている・・・
改めてその蓄積と、ご依頼の継続の喜びを感じました。

今日、どれだけ先生方の優しさに救われたことか。
すれ違う先生おひとりおひとりが声をかけてくださいました。本当にありがとうございました。

そして、アナウンスをずっと教えてきた11歳下の教え子(大学生)にも、
今回に関しては非常に助けてもらいました。
想像以上のパフォーマンスを見せてくれて、本当にありがとう。
by mikikasai819 | 2009-06-28 20:52 | はたらき(お仕事) | Comments(0)

ニュース速報の扱い方

マイケル・ジャクソンの訃報は、私が番組を進めているまさにその瞬間に入ってきました。
スタッフからメモを渡されたとき「えええ????」と大声をあげてしまいました。
それくらい、衝撃でした。

さあ、この誰もがショックなニュースを番組の中で伝えなくてはなりません。
生放送だからこそ対応できる速報です。

最初は救急搬送されただけなのか、亡くなったのが確認されたのか、
ニュースソースによって表現がバラバラでした。
よって、情報を収集し、分かる範囲で、正確なものを伝えるということに全力を注ぎました。
当然、台本などもありません。
短めの文章、それこそ数行のみ。

「ここで、たった今、大きなニュースが入ってきました」

どのテレビ局もラジオ局も、いっせいに報じている。
今、私と同じことをしているアナウンサーが、日本中、いや、世界中にどれだけいるのだろうか。


世界が動いていることを実感した瞬間でした。



・・・ちょっと話は脱線しますが、私が10年間(途中ブランクはありますが)この仕事をしていて、
最も新人の頃に出くわした仰天ニュースは、「槇原敬之、覚せい剤で逮捕」でした。
1999年の夏、忘れもしません。
お昼の番組のパーソナリティーをしている先輩が夏休みで、
私は代役として初めて一人で番組を仕切るという日でした。
ただでさえ緊張です。入社してまだ数ヶ月。

13時からの生放送というその直前に、逮捕の一報は飛び込んできたのです。

オープニングトークは当然差し替え、番組が始まってからも随時情報を入れていきます。
私の言葉でニュースを知る人はたくさんいるわけです。
個人的にも衝撃なのに、伝える側にいる自分ができることは何か、
緊張も吹き飛んで、別の意味でやけに冷静になった記憶が、今よみがえってきました・・・。



最後に、話をマイケル・ジャクソンに戻します。

私自身、学生時代は洋楽をあまり聴かないで過ごしましたが、
マイケル・ジャクソンのコンサートを高校生のときに東京ドームで見る機会がありました。
しかも、アリーナ席の前から10列目ほど。
本当にど真ん中の席でした。(周りに有名人がたくさんいた)

彼のライブはなんとワールドワイドなんだろうと、度肝を抜いたことを思い出します。
派手なアクション、ダンスももちろんなのですが、
最後に世界中の子どもたちと一緒にステージに上がって、
Heal The Worldを優しい笑顔で歌っている姿がとても印象に残っています。
あの曲、徐々に転調して歌い上げていくんですよね。
We Are The Worldもいいのですが、個人的には断然Heal The Worldです。

ネバーランドがアメリカのサンタバーバラにあったということも、勝手に親近感でした。
サンタバーバラは、私が大学時代に留学した街。
実際にネバーランドを見たことはありませんでしたが、
「どこに留学してたの?」と言われたときは
「ネバーランドのあるサンタバーバラ」って説明していたなぁ・・・。



・・・と、こうして文章を書いた今、
いったいどれだけの人がマイケルのことをブログに載せているのだろうと思うと、
やはりこの瞬間も世界は動いているなぁと思うのです・・・。
by mikikasai819 | 2009-06-27 16:36 | はたらき(お仕事) | Comments(4)

東京にあるたくさんの駅の中から五十音順に選んで、その駅の周辺を歩く、
河西美紀のこのきなんのきまちあるき。

「あ」から順に「わ」まで終えて、濁音にも入って、とうとう、今日で1周を迎えます。

前回は「ば」から始まる駅で馬喰町でしたが、ファイナルは、「ぶ」。
「び」・「べ」・「ぼ」から始まる駅は東京にはないんです。

さあ、その「ぶ」といえば、これまた1つのみ。
悩むことなく、向かった先は、京王線・JR南武線の分倍河原駅。
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どちらからアクセスしても改札を出ると同じ場所に出ます。
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駅前に出ると、左側にのびていくのが分倍河原商店街。
右側には歩道橋。南武線と道路を渡って、バスロータリーに続いていきます。

まずは右に向かっていった私、歩道橋の上から、気になる銅像が目に入りました。
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馬に乗った武将。それは、新田義貞です。
分倍河原は、1333年、鎌倉幕府を倒すために挙兵した新田義貞と、
幕府側の北条泰家(やすいえ)が戦った場所なのですね。
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ロータリーには東芝の大きなビルが併設されていました。
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その裏になにやらショッピングセンターが!!!
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今年3月にオープンしたばかりだそうです。
アルファベットで全て大文字で書きます、MINANO(ミナノ)。
このMINANOには、特別なというか、おしゃれなお店は入っていません(爆)。
スーパー、衣料品、レストラン。
安さを重視した、生活に密着した、必要なもののみを置いた施設。
よって、私は特にどこかに寄りはしませんでしたが、普通に買い物したくはなりました。
(色々買ってもここから持って帰らなくてはなりませんからね)
それにしても、もう少し存在感があればいいのに、
駅のロータリー側からは奥まで覗いてみないと気付きませんでした。

さて、駅の逆側に渡ってみましょう。
駅から旧甲州街道までの道なりに分倍河原商店街があります。
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色々な商店が並んでいて、そこを抜けると、住宅街。
今回、ランチにお目当てのお店がありました。
フレンチでこの界隈では有名なココットというお店。
なかなか見つけられなくて、甲州街道をも越えて、探して探して、
見つけたのに、Closed。この日に限って臨時休業だったようなのです。
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ああ、まちあるき、1周目ラストもこういうことがあるのかと。
まあ、いつもどおりといえばそれまでですけど。

それで、ココットの斜め前の「ふくみみ」というラーメン屋さんは行列しているし、
うーん、どうしたものかと、駅のほうまで戻り、イタリアン国旗の出ていたお店へ。
先ほど、ピザの焼けるいい匂いがしたのでチェックしていたのでした。
しかし、そのお店も、ただいま満席ですの札。
さっきまでは空いていたはずなのに、この10分ほどで運命は変わりました。
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完全にランチタイム難民。どうしたものか。

すると、讃岐うどん屋さんを発見。
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入ってみると、ラッキー!最後の1席!!!
(この辺りは、府中や北府中近くのサラリーマンで、平日お昼時は賑わっているのです)
このうどん屋さんは「喜三郎」といいます。
どれどれ、どんなメニューがあるのかな。
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おろし天ぶっかけのひやひやを頼みました。
実際メニューに「あったか」か「ひやひや」を選ぶように書いてあります。
天ぷらは、ししとう、なす、れんこん、かぼちゃ、海老。
すべて、注文を受けてから揚げるという徹底ぶり。アツアツです。
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それで、いざうどんのお味はというと、いやー、驚きました。
正直、分倍河原の住宅街でこんな美味しい讃岐うどんを食べられるなんて思っていませんでした。
コシがあって、でも、やわらかい。やわらかいけれど、歯ごたえがある。
矛盾しているようですけど、一口食べて、人気なのがよく分かりました。
近くにあったら絶対通う感じのお店です。
天ぷらは絶対に食べるべきです。次、もし行く機会があったら、
桜海老のかき揚げにチャレンジしたいなーって思いました。

っていうか、もっと基本的な感想から行くと、一時はどうなるかと思いましたが、
結果的に満足のいくランチができて本当に良かったです。

それでは、分倍河原のまとめです。

・・・武将が戦った歴史ある場所
・・・バスロータリーの奥にショッピングセンター
・・・行ってみたら臨時休業のお店
・・・ガックリしたら、出会えた讃岐うどん
・・・私なりの歩き方で
・・・ラストの駅を迎えました

☆☆☆

ここからは、放送でお伝えし切れなかったこと。

↓↓↓

☆お目当てのお店に振られて、甲州街道にかかる歩道橋でたたずんだときの1枚。
ああ、私は何を食べればいいのかしら。無情にも車はビュンビュン通過していきます。
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☆分倍河原駅からはサントリー工場見学のシャトルバスが出ています。
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事前予約が必要とありましたが、思い立って電話してみたら、ちょうど私が希望した時間は満席でした。
うーん、残念!・・・って、行ったらビール飲んで終了してしまいそう。

☆駅前で遠足帰りらしき小学生の集団に遭遇しました。
彼らの会話内容がツボに入ってしまいました。
ひとりの子が、分倍河原駅の近くに麻雀の文字を見つけたようなのです。

子供1:「あー、マージャンだって!!!ほら、マージャンって書いてあるよ!」
私:(漢字が読めるのね、すごいわね。っていうか、どうして詳しいの?)
子供2:「マージャン?何?」
子供1:「知らねぇの?マージャンだよ!」
私:(答えになってないよ・・・苦笑)
子供1:「でも、おひとりさま大歓迎ってあるんだよなぁ。ひとりじゃマージャンできないのにさ!
     先生~、変だよねー。ねえ、先生ってばぁ~」
私:(こういう質問にちゃんと向かい合って答えていくのか、先生も大変だなぁ)
先生:「・・・ほら、喋ってないで早く歩きなさい!」

↑↑↑

というわけで、実は、私がぐっとモーニングせたがやの番組担当になったのが去年の7月。
つまり、このきなんのきまちあるきのコーナーもちょうど1年を迎えました。
1年を迎えると同時に、1周終了です。

あ行・・・赤羽 井の頭公園 牛込神楽坂 恵比寿 奥多摩
か行・・・葛西 北参道 国立 京急蒲田 国会議事堂前
さ行・・・桜台 品川シーサイド 水道橋 世田谷 祖師ヶ谷大蔵
た行・・・高田馬場 調布 月島 テレコムセンター 東京
な行・・・中野新橋 西新井 沼部 根津 乃木坂
は行・・・羽田空港 東あずま 府中競馬正門前 平和台 本駒込
ま行・・・町田 三ノ輪橋 武蔵小山 目白 森下
や行・・・八坂 祐天寺 四ッ谷
ら行・・・流通センター 芦花公園
わ行・・・若松河田

が行・・・外苑前 銀座 五反田
ざ行・・・神保町 雑司が谷
だ行・・・台場 田園調布
ば行・・・馬喰町 分倍河原

これだけ回ったわけです。その数ちょうど50!
初めての駅、おなじみの駅、印象の強い駅、薄い駅(苦笑)、楽しかった駅、苦しかった駅(苦笑×2)、
色々ありましたが、やっぱり行ってみないと分からないというのが感想です。
あなたにとって、ビンゴ!な駅はありましたか?

さあ、ここで違うコーナーになるのか、2週目に入るのか、
色々なご意見をいただきましたが、考えた結果・・・

もう1周、「あ」からスタートすることにいたしました!!!

いいのか!かさいみき!
雨の日も風の日も、2週目をスタートしたら、
またゴールまで走り続けなくてはならない!(歩き続ける・・・か!)

でも、まだまだ東京にはたくさん駅がありますものね!!!
何より、私のライフワークになりつつあります。
というわけで、来週から、心機一転、また「あ」のつく駅から歩いてまいります。
これまでどおり、リクエスト、予想お待ちしていますね。
by mikikasai819 | 2009-06-26 10:51 | まちあるき(FM世田谷) | Comments(8)

扇風機さん、ありがとう

今日、扇風機を出しました。
去年までは思ったことなかったけれど、優秀だよなー、扇風機。
いい風をいい具合に送り込んできてくれます。
エアコンをつけるほどでもないときに重宝。
調べていくと、扇風機の歴史から正しい扱い方まで、情報満載のサイトがありました!
社団法人日本電機工業会の「快転せんぷうき」というページです。読んでいくと楽しそう!
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扇風機の風で生き返る感じ。ふーっ。

そういえば、最近汗をよくかくようになりました。
前からそうですけど、特に最近は、自分でも驚くほど。
毎週スカッシュ教室に参加しているのですが、私だけ、滝のような汗なのです。
「代謝がいいってことだからうらやましいですよー」と仲間には言われるけれど、
化粧は全部落ちるし、私としてはいいことなし!!!(涙)
大好きなカレーを食べていても、汗が滴り落ちそう。
先日、看護師の友達に「更年期スタートかもよ」なんて冗談いわれて、
いや、まだ30代前半ですから!と思い、
これってどういうことなんだ!!!ーと、扇風機に向かって問いかけています(笑)。
ちなみに、日本気象協会によると、汗かき指数は、
今日も明日も高い様子。そのイラストが・・・可愛いです(笑)。
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うーん、実際、私の場合、こんな汗では済まないんですけどねー・・・(涙)。
by mikikasai819 | 2009-06-25 18:18 | にっき(日々の出来事) | Comments(4)

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私が普段使っている化粧品の1つに、「資生堂 べネフィーク EX デープロテクター」というものがあります。
化粧水・乳液以外に使う日中美容液です。40mlで約4000円だったかな。

この美容液が少なくなったので、先日新たに購入しておきました。
そして、箱を開けて数分後、いざ使おうと思ったら、忽然となくなっているではありませんか。



あれ?どうしたっけ?さっき開封したばかりなのに。




ボーっとしてどこかに置いたかなー。リビング?寝室?台所?
いや、こんなところまで持ってきたりしないよね。


おかしいなー。ないなー。



まだ1度も使っていないのに、家の中で紛失ってありえない・・・。






あっ!!!もしかして!!!







まさかとは思うけれど、念のため、ゴミ箱をあさったら・・・




あった。




化粧品の空容器・空箱とともに、未使用の商品まで捨ててしまっていたのでした。



繰り返しますが、一度も使っていない状態で、ゴミ箱にポイ!です。

ホント、ありえない。このままごみ収集に出していたらと思うとゾッとした出来事でした。
気付いてよかった・・・っていうか、そのまえに気付けよ!!!
ボーっとしている自分に「喝!!!」。
by mikikasai819 | 2009-06-23 15:04 | にっき(日々の出来事) | Comments(2)

さすがに長文を5つも一気にUPすると重かったので、
短めに、軽めに、でも、中身はとっても濃い、嬉しい内容を1つ。

昨日(日曜日)、NHK杯全国放送コンテスト東京都大会の決勝があり、
私がコーチをしている都立上水高校放送部の生徒が、
朗読で1位、アナウンスで6位、ラジオドキュメントで1位という結果を出し、
3部門で全国大会に進出することが決まりました!!!

\ ( * ⌒ ▽ ⌒ * ) /

素直に嬉しい。

みんなが一丸となって取り組んでいる姿を見ると、私も本当に励みになります。

そして、ちゃんと報告してくれることにも改めて感謝。







ふと、ホコリをかぶっていながらもちゃんと保存してある、昔の盾を引っ張り出してしまいました。
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懐かしい、これが私の原点だ。
平成5年度というのが恐ろしく昔ではありますが(爆)、
今の17歳の生徒を思いながら、確実に当時の17歳の自分を思い出しましたよー!!!


ビバ、放送部!!!
by mikikasai819 | 2009-06-22 01:39 | にっき(日々の出来事) | Comments(10)

今日、祖父の四十九日法要が終わったきっかけで、葬儀前後の話を一気にUPしています。

告別式後1週間で色々書き連ねたものなので、どうしても想いが深くなってしまっています。

でも、今日を逃すと、お蔵入りにしてしまう。
それもアリか、自分だけの心にとどめておけばいいのではないか、
皆様にお見せするような内容なのかどうか・・・色々思ったけれど、
やはり自分自身の大切なブログなので、記録として載せることにした次第です。

Vol.1から書いています。まだの方はお手数ですが最初からお読みくださると時系列になっています。
今回(vol.5)で結びとなります。
告別式・火葬の際の感情なので、リアルな描写は不快・NGという方はスルーしてください。

☆☆☆

5月10日。告別式当日。
私はこの日の神秘的な朝を忘れることが出来ない。
普段、絶対なかなか起きない私が、目覚ましをかけた時刻の10分前に目が覚めた。

そのとき、窓からものすごい神々しい光が部屋に差し込んでいたのだ。

それはもう、本当にすばらしい朝日だった。おじいちゃん、何だろうね、これって。

朝、おにぎりと味噌汁を無理矢理食べる。
すると、私と妹はこぞって吐き気と腹痛に襲われる。
別に食中毒ではない。過度の緊張状態だと思う。2人で整腸剤を飲む。
まったく、しっかりしなきゃダメだ。

告別式も本当に多くの人が弔問に訪れた。
こんな時でないと二度と会わなかったであろう人も来てくれていた。
やっぱり私は涙が止まらなかった。妹もすすり泣いていた。
初七日の法要も一緒に行われた。

最後のお別れのときが近づいている。
棺の中にお花を入れる。ここまで気丈に振舞っていた母も祖母も号泣。
「火葬場でも少しお時間はありますが、これにて棺のふたを閉めてしまうので、
ゆっくりお別れするのはここが最後です。」
涙が止まらない。もう、触ることもできない祖父の体。
そして、「棺に釘は打ちませんので、皆様で心をこめてふたをしてあげてください」とのアナウンス。
みんなでゆっくりふたをもちあげ、ゆっくり置いた。

そして、出棺。私は、霊柩車を見送るものだとばかり思っていたが、
親族はすぐにマイクロバスに乗るようにと指示があった。一緒に火葬場まで行くのだ。
87歳の祖母がちょこんと霊柩車の助手席に位牌を持って座っている。
喪主だから仕方ないが、どんなにか心細いだろう。

そして、参列者に見送られながら、霊柩車とバスは動き出した。

斎場から火葬場まではおよそ30分。
よく知っている道だけに、ここをおじいちゃんと一緒に通ったなぁなどと思うと、また涙が出てきた。

到着するまでの時間は無情にも早く過ぎた。
火葬場に到着後、私は本当に驚くことになる。
小学生の頃、つまりもう20年以上も前、
しかも田舎の火葬場のかすかな記憶しかない私は、まず、火葬場の規模の大きさに度肝を抜いた。
いったい何組のご遺族が来ているのか。
そして、次から次へと流れ作業的に進んでいる。

私は、ふたは開けられなくとも、最後にゆっくりできるのかと思っていた。
お経をあげたりする時間くらいはあるのかなとも。

しかし、到着して、数分後、

「よろしいでしょうか、それではお名残惜しいですが・・・」

あっという間に祖父の棺は釜の中に吸い込まれていったのだ。

今思えば、ああでもしないと、いつまでも「おじいちゃん」と泣きすがっていたに違いない。
それにしても、こういうものなのか。
全く予想していなかっただけに、あまりの展開の速さに、
私は、ここで、人生初めてであろう「笑い泣き」をした。
多分、一種のショック症状だ。
だって、笑うしかないっていうくらいに、非情な、無情な、想像を絶するほどの速さだったからだ。

本当にお別れ。もう、おじいちゃんの姿は見られない。

骨が焼きあがるまで、控え室で待つ。
控え室に移動するまでに、妹はお坊さんに
「そんなに泣いていたらおじいさんが悲しむよ」というように諭されたらしく、
「怒られた・・・」とまた別の意味で泣いていた(苦笑)。
私は、通夜から火葬にかけて一貫してこのお坊さんのお話や姿勢に感動していたので
「初めて身内を亡くすという体験をしたのですが、
お経をあげてくださったのがあなたでよかったです。ありがとうございました」と泣きながらお礼を言ったら、
「このあと収骨が一番つらいと思いますが、どうかおばあさんを支えてあげてください」と
温かく励ましてくださった。
お坊さんは「このあと別件で群馬に行くのでここで失礼します」と言っていて、
群馬!とその偶然にもなんだか不思議な縁を感じた。

待っている間、親族と話をしながらお茶を飲んでいると、ここまでの流れがウソのようだった。

1時間ほどして、いよいよ、収骨。

出てきた祖父の姿は、そう、もちろん、骨だけなのだが、なんというか、スカスカだった。
91年間生きてきた証なのだとも思った。
足に入れていた金具なども見受けられた。

箸を使って2人で骨を壷に入れていく。
これは小学校時代もやったことがなく、初めてのこと。
脚のあたりの骨ですよ、と係の方が教えてくれた。
その後、ひと通り順番が回ったら、係の方が
「これが頭の部分です」「喉仏です」と説明をしながら納めていく。
どうして分かるのだろう・・・と驚く。そりゃそうだ、この方は、この仕事のプロなのだ。

途中「これが耳の部分です」と言われたときに、それまで止まっていた涙がまた一粒だけ流れた。
最後に、祖父の耳元で懸命に話しかけたことを思い出したからだった。
でも、それ以外は淡々と進み、全てを骨壷に入れてふたをするまで、
その手際のよさに目を奪われ、本当に、こんな小さくなったんだなぁと思った。

そうして、再び斎場に戻り(行きと同じ道を通らないようにするのが常だと初めて知った)、
親族で食事をし、案外みんな話が盛り上がったりしちゃって、
でもそれがいいのかもしれなくて。

斎場から家まで骨壷を持ち帰る役は私になった。
(車に乗るだけだが、祖母は重いので持てず、父は運転するということで。)
ひざの上の骨壷を見ながら思ったこと。
「おじいちゃん、家に帰ろう。私が連れていってあげるね。」それが本音だった。
「すまないねー。ありがとねー」という声が聞こえるような気がした。

こうして、全てが終わった。

家族みんな、相当の疲れがあったはず。
でも、なんだかいまだに信じられない、夢みたいな出来事だという気持ちがあった。

四十九日の法要。また、私にとって初めての体験。
今度は、実家に置いておいたお骨がお墓の中に入った。また寂しくなった。

こうして、徐々に、時間が過ぎていくのであって、
そうして、祖父のいない日々が、普通になっていく。

でも、祖父は私の心の中でいつまでも生き続ける。おじいちゃん、これからもずっと。


by mikikasai819 | 2009-06-21 23:59 | にっき(日々の出来事) | Comments(4)

雨の中、祖父の四十九日法要が終わりました。
これもひとつの区切りと思い、葬儀前後の想いを記したものをUPしています。
(もともとは、既に書き上げていた)
長文だけど、自分のための文章なので、カットはしません。

通夜の描写など重いものはちょっと・・・という方はスルーしてください。

☆☆☆

5月8日。この日はエフエム世田谷の生放送の日。
通夜・告別式が週末になったので、番組は普通に担当できる。
私にとってはキツイ日だが、リスナーの皆さんにとっては日常なのだ。気合を入れて臨んだ。
基本、大丈夫だったのだが、1箇所、
担当ディレクターが何気なく選んだ「涙そうそう」が流れた瞬間、危なく泣きそうになった。

この日は、人生初めてこの歳で喪服を買った。
移動中の電車で「おじいちゃん」とつぶやくと、
それがスイッチになってツーッと涙が滴り落ちた。
絶対、同じ車両の人はギョッとしていたことだろう。でも、正直、コントロール不能だった。

家に帰って、私は、ある決意をした。
それは、今の自分の気持ちを、おじいちゃんに聞かせたいということ。
手紙でもいいけれど、せっかくだから、喋って残しておこう。
録音機能のついたデッキを持ってきて、ノンストップで、行けるところまで語りかけた。
40分の私の言葉をCDに焼いて、これを棺に入れることにした。
しかし、後に、棺には燃えにくいものは入れられないということを思い出した(苦笑)。

☆☆☆

5月9日。とうとう、通夜。
会場に行って、看板を見た瞬間、涙が出た。
遺影の写真が、私と妹が推薦していたものに決まっていた。
もっと若い頃の笑顔の写真の方がいいという意見もあったのだが、
きょとんとした表情でも晩年の優しいおじいちゃんの顔のほうがいいと思っていた。
こっちにしてよかったと、無意識に何度もつぶやいている自分がいた。

通夜が始まると、お焼香をあげてくださる弔問客に親族として挨拶をする。
何度頭を下げただろう。想像をはるかに超えるものすごい数。
商店街でお世話になった懐かしい人たちの姿は、古きよき時代を思わせた。
祖父は税関係のお仕事にも従事していたので、
税務署や青色申告会の関係者の方もたくさん来てくださった。
自治会の副会長もしていたので、地域の方も多かった。
現役を引退した91歳にも関わらず、こんなにも多くの人が来てくれるなんて。
私は最初こそ泣いていたが、途中から常に祭壇の写真に向かって
「おじいちゃん、すごいじゃん!」と語りかけていた。本当に、孫としてうれしかった。

お経をあげてくださったお坊さんが、こんなことをおっしゃった。
「若いお孫さんが、大粒の涙を流している。
普通なら、91歳ならおじいちゃんよかったね、というような雰囲気があってもいいくらいのものを、
心からみんな哀しんでいる。それは、おじいちゃんの人柄であり、
これだけ想われているおじいちゃんは本当に幸せ者だ」。

そうなんだよ、本当にそういう気持ちなんだよ。
心の中を代弁してもらったようで、救われた。

会食を済ませ、みんな一旦帰宅。
祖父の近くに一晩一緒にいる大事な役は、私と弟と妹、そして母の4人。

実は、私たち孫が志願したのだった。

3人ともに結婚して家を出ているから、こんな機会はめったにない。
多分、今後も容易にはないだろう。ある意味、祖父に感謝かもしれない。
4人で布団を並べて寝た。
もちろん、寝付くことはなかなかできず、深夜遅くまで棺のそばで妹と2人で語り合った。
「明日なんて来なければいいのに」「明日が怖い」「あと○時間だ」
子どもみたいなことを言っているようだが、初めての体験となるとこういうものなのか。
そう、明日こそ、本当にお別れなのだ。おじいちゃん、まだ信じられないよ。

続く
by mikikasai819 | 2009-06-21 23:57 | にっき(日々の出来事) | Comments(0)

祖父の四十九日法要が終わったので、葬儀前後の流れをまとめた文章をUPしています。
自分の思ったとおりのことを書いています。

リアルな描写はちょっと・・・という方はスルーしてください。
それでも目を通してくださる方は、Vol.1とVoL.2からお読みください。

☆☆☆

5月7日。チェックアウトして行き先は東京。昨日の今頃は想像もしていなかった。
3時間の道のり。全く眠くない。

昼過ぎに実家に着くと、先に到着してた妹のすすり泣きが玄関から聞こえてきた。
私たちとほぼ同時に、1人の男性が我が家を訪れた。
介護ベッド貸出の業者さんだった。不用になったベッドを引き取りにきたのだ。
祖父が寝ていた場所が、少しずつ解体されていく。私はその様子をずっと眺めていた。
こんなにたくさんの部品で組み立てられているんだな・・・と冷静になってみたり、
おじいちゃんは本当にいないんだ・・・と無性にこみ上げてきたり。

業者さんは「ここのところ本当に元気になられていたから、
別の前向きな段階のお手伝いができるかと思っていたら、
まさか亡くなったなんて、本当に信じられなくて、
電話いただいた時、絶句してしまいました」と悲痛に語ってくれた。
私は皮肉にもこういうところでも職業柄か色々興味を持って知りたくなってしまう。
この業者さんは実にプロの仕事をしてくれていた。
介護ベッドを引き取りに来るときというのは、もちろん、元気になって不用になるのが一番いいが、
亡くなって不用になるというのが大半だろう。
これまでにもこういう現場をたくさん経験されているのだと思うが、
本当に丁寧に、心をこめて、機械的ではなく接してくれた。
その対応の温かみにどれだけ救われたか分からない。
数十分の作業のあと、何もなくなってしまったがらんとした部屋を見て、また泣けた。

その後まもなく、葬儀屋がやってきた。
悲しみに浸ってばかりいられないというのを、このときイヤというほど知らされる。
通夜・告別式の日取りを決めるところから始まり、受付の手配、お香典返しの品、料理、
周囲への連絡など、遺族はやることが本当にたくさんあるのだなと思った。
何しろ、本当に初めてなので、横で見ていて全てが新しく知ることなのだ。
葬儀には想像以上にお金がかかること、どんな形式で葬儀を進めていくのかということ、
私は本当に何も知らなかった。知りたくないことだから、
必要以上に避けてここまで生きてきた。
でも、とうとう、本当に当事者になってしまった。

ひととおり終わってから、祖父に会いに行く。
本当は家に帰ってきてほしかったのだが、諸事情あり、別の場所に安置することになったのだ。
家から車で20分。
その場所に着いて、遺体と対面したとき、妹は即座に泣き崩れた。

でも、私は、不思議な感覚に陥ったのだ。

最初に思ったこと。「あ、このにおい、懐かしい」

実は、我が家は長年にわたり寝具店を営んでいたのだが、その工場のにおい・・・
布団のにおい、もっというと、綿のにおいが、その部屋に染み渡っているように思えたのだ。
理由は分からない。でも、確実に、とてつもなく懐かしかった。
「おじいちゃん」と私は思わず目を閉じた。

そして、いざ、顔を見たときに、現実のつらさが押し寄せてきた。
でも、ここでもまた私は、私にしか感じられない気持ちがわいてきた。

それは、祖父のあごだった。

そう、前の日に「もういいよ」といわれてもなかなか手を止めなかった、髭剃りの姿を思い出したのだ。
まるでこうなることを予感したかのように事前にキレイに自分を整えようとしていたのか?とすら思えた。
でも、冷たくなった祖父のあごには、うっすら、でも確実に、白と黒の短いひげが存在していた。
剃り残し?
いや、私が見た光景から、息を引き取るまでの約1日、
ほんの少しでもひげが伸びるほどに、ちゃんと祖父は生きていたんだ。

生きていた証だね、おじいちゃん。

夕食は、母も祖母も作る気力がないだろうし、でも、何かは食べなくてはね!と、
私と妹でお惣菜を買い出し。
祖父のいない食卓。自然とその席は空けてしまう。

話していく中で、祖父が最後に口にしたものは、大好物のスイカだったということが判明した。
今年初モノのスイカだと喜んで食べたと聞いて、涙が止まらなくなった。
同じスイカ、食べてしまわないと悪くなるからと、祖母が切って出してくれた。
父も母も、妹も主人も、みんな食べた。

私には・・・スイカは用意されなかった。

実は私は小さい頃からスイカが大の苦手なので、いつも食べないのだ。
「みきはいらないね。かわいそうにねー。」とスイカの食卓には呼ばれず、
家族の輪から抜けて、一人でテレビを見ていたものだった。

でも、このスイカは特別だ。
私は、無理矢理、口にした。何年ぶり、いや、何十年ぶりのレベルかも。
おじいちゃんと同じスイカなんだよね。
これを数日前に美味しいってうれしそうに食べたんだよね。

このとき、私は初めて、人目を気にせず嗚咽した。
「もう、この先、スイカは一生食べない。これが最後のスイカ。」って言いながら。

続く
by mikikasai819 | 2009-06-21 23:47 | にっき(日々の出来事) | Comments(0)