カテゴリ:でんき(昔の出来事)( 83 )

昨日の生放送のメッセージテーマは「ウィンタースポーツ」がテーマでした。
私はそこで「湾岸スキーヤー/少年隊」を流して、
自分のスキーのエピソードをお話しました。
番組スタッフには大いに笑われましたので、ブログに記しておこうと思います。

・・・スキーというスポーツ、私には本当に縁のないものです。
残念ながら、その縁は自ら遠ざけてきました。

「私をスキーに連れてって」に感化されたバブル世代ではありませんが
それでも周囲にはスキーが好きな人が多くいました。
子供の頃から一度もゲレンデに行ったことがなかった私は
颯爽と滑る姿になるまでには相当大変で、転んだら骨折する・・・というような
相当なネガティブイメージがありました。

始めるきっかけはいくらでもあったのです。

①高校3年の冬は幼なじみの男の子からスキーに誘われました。
彼は男子校だったので、女子校の私に周りの友達を連れてきてくれと
まあ、そういう魂胆があったのだと思います(笑)。

「ごめん、無理」
「え?どうして?」
「スキーは無理。できない。」
「大丈夫だって!教えてあげるからさ!」
「いいよいいよ、私に気にせず滑ってきてよ」
「一緒に行こうって言ってるのに!」
「とにかく、ごめん。スキーだけはパスさせて!お願い!」

※「キャー、滑れない!こわいぃぃー!!」と可愛い声をあげながら
手取り足取り教えてもらった方が青春の思い出になっただろう・・・。
でも、やっぱり怖くて無理だった。

②大学2年の冬、アルバイト先の仲間でスキーに行く話が持ち上がりました。

「ごめん、無理」
「え?どうして?」
「スキーしたことない」
「大丈夫だよー、私も今回スキーデビューするから!」
「いや、あのー、怪我するの嫌でさぁ」
「大丈夫だってー。一緒に行こうよ」
「河西、ホント行かないの?」
「ごめん、スキー以外なら参加するから!」

※どんなイベントでも前向きな私がこれだけは頑なに断り続けた。
結局、行けなかった先輩とカラオケに行き歌いまくった(笑)。

③社会人2年目、大学時代の友達(スキーサークル所属)に教えてもらうことになりました。

「おー、スキーとうとうやる気になったの!」
「うん、群馬に就職したんだし、スキー場いっぱいあるし、何事も経験だよね」
「わかった。それじゃ、次の週末車で前橋まで迎えに行くから。」
「よろしくね!!」

スキーウェアは会社の先輩が全て貸してくれました。
「楽しんでおいでー!」

いざ当日。

「ごめん、これじゃ今日は無理だ」

私のセリフではありませんよ。友達のセリフです。

なんと、大雪により関越自動車道通行止め!
そもそもの問題、東京から友達が来られなくなりました。

「えー!!!」

せっかく覚悟を決めたのに、ウェアも借りて準備万全だったのに。
私のスキーデビューはお預けになりました。


・・・

・・・

・・・

きっとこのまま人生でスキー場には行かないんだろうと思ったら・・・

「せっかく河西さんやる気になったんだから行きましょう!」

スキーウェアを貸してくださった会社の先輩夫婦が
連れて行って下さることになりました。

その年の4月1日。まあ、春スキーですね。
かたしな高原スキー場に行きました。
スキー専門のコースですよね。

河西美紀、25歳でスキーデビューを果たしました。

まずスノーブーツを右左逆に履いて混乱したところから始まりました。
(「こんなにキツいんですね」と真面目に言ったら先輩が苦笑した)

正真正銘人生初のスキーなので、ボーゲン云々の前に、リフトに乗れないわけです。
乗っても降りられない。ホントにこんなにつらいのかと。
だから、まずは歩くことから。
周囲の子供たちの視線が感じられました。

(私は今日が初めてなんだよ、君たちはもうスイスイ滑れるかもしれないけどさ!!)

そのうちハの字で下降できるところまでになりましたが、
まあ、全身に力が入っているものだから、疲れ方がハンパないわけです。
(翌日、この世のものとは思えない筋肉痛が来たことはよく覚えている)
でも、根気強く教えてくださった先輩夫婦には本当に感謝しています。

・・・

・・・

・・・というわけで、私はこの1度だけでスキー人生が終わりました。
多分、この先も行くことはないでしょう。
スポーツ全般大好きでむしろ得意だった私ですが、スキーとはご縁がありませんでした。

しかし!
冒頭に書いた「湾岸スキーヤー」の曲をバックに、
私はFM群馬時代は「スノーインフォメーション」というスキー場情報を伝えていました。

「天候晴れ」「積雪200センチ」「全面滑走可能です」

我ながら格好よく伝えていきました(笑)。

しかし、ある日、私は何も疑わず渡された情報を読んでいたら、
当時の上司に諭されました。

「河西さん、雨でパウダースノーはあり得ないよ」って。

どうやらアルバイトの子が間違えて記載したようなのですが、
スキーに疎い私はそれに気づかずそのまま読んでしまったのです。

・・・ホント、すみません(苦笑)。

とまあ、気づけばスキーの思い出を長々と書いてしまいました。



※昨日、FM世田谷のNディレクターが
番組のエンディングに、再度「湾岸スキーヤー」を流してくれて
「はい」と1枚の用紙を渡すではありませんか。
それは、世田谷と繋がりのある群馬・川場の情報!

え?FM群馬時代の再現をしろと?(興奮)

「川場スキー場、天候晴れ、全面滑走可能」

久しぶりに気持ちよくお伝えできました♪

「河西さんは全面滑走不可能だけどね」とスタッフに笑われるオチ付きでしたけどね。
by mikikasai819 | 2017-02-04 23:17 | でんき(昔の出来事) | Comments(2)

今日は都立上水高校のクリスマス会でした。
その中で、

「クリスマスはどうやって過ごす?」
「どうせクリぼっち」

このような会話がたくさん出てきて
高校時代の自分はどうだったかなーと思い返していたら、

去年ブログにアップしたエピソードをまた思い出してしまった・・・(苦笑)。

「あの話、ウケたわー」と複数から言われたので
読んでいない方、下のタイトルをクリック!

あの年のクリスマス、私より大切だったのは・・・





※クリスマスイブ&クリスマス当日、夫婦そろってまとまった時間ができたので
列車に乗ってふらーっと旅に出てまいります!
クリスマスらしさは3割あるかないかっていう、内容もまだこれから決めるという、
まあ、気ままな感じで。
by mikikasai819 | 2016-12-23 21:27 | でんき(昔の出来事) | Comments(2)

名古屋での仕事を終えて昨夜は宿泊し、
今朝のAM7:24の新幹線で東京に戻り、午前中は大手町で司会でした。
昼過ぎに終わってご飯を食べて、かなり久しぶりにインターネットカフェに来ています。
本来、PCはこうでなくちゃ。
サクサク気持ちよく動くことがうれしくて、
ついついキーボードを打つ手も速まります(笑)。


さて、今日は自分の昔の体験を踏まえて、ちょっと気になったことを書きますね。


・・・私はFM群馬時代、リポーターとして県内各地に赴きました。
生放送中に中継を入れる、それはまさにLIVEの醍醐味です。
インタビューしたり、体当たりで何かを体験したり。
ラジオですからイメージを膨らませるための実況、さらには音をとることも忘れずに。

もちろん、新人のころは今思えばひどいリポートでした。
元気がとりえ!というような、勢いだけでがんばっていたときもあります(苦笑)。
でも、日々学べる場でもありました。


そんな中、ある日、先輩アナウンサーに指摘を受けました。
まったくもってそのとおりだ!と腑に落ちる内容で、
以来、忠実に守って来たことがあります。

それは、

相手から呼びかけられたときはわざわざ改めて名乗らないということ。



スタジオにいるアナウンサー
「今日のリポーターは河西美紀アナウンサーです。河西さーん!」


「はいっ、河西です!」


何もおかしいところはないように思いますね。
私もそうでした。
むしろ、こういう始まり方こそTHEリポート、THE中継♪だと思っていました。



先輩からはこう言われました。



「河西さんのことはこちら(スタジオ)で紹介してさらに呼びかけているんだから、
名前はもうリスナーには伝わっているよね。
決まり事のように連呼する必要はないんじゃないかな。むしろしつこく感じると思う。」




確かに!!!目からうろこ。



・・・いや、当時の私はそのとおりと100%思えないところもあったかもしれません。
名前を覚えて欲しくて、自分をアピールしたい気持ちもゼロではなくて。
個人的には大いに若気の至りですが(照)
若くなくても自分大好きな人がこの仕事に就きやすいので(爆)
こういう気持ちは分からなくもないですよ!
でも、今のわたしは「私が、私が!」という人間では決してないですし、
性格云々を置いておいて、先輩の指摘はごもっともだなと心から思えます。

注:スタジオから呼びかけがない場合は別です。
いったい誰がしゃべっているのかわからないのは逆に不親切ですからね。
その場合はちゃんと名乗ります。


・・・

・・・

・・・長々と書きましたが、そんなことを思い出すきっかけは、
実は今朝、名古屋のホテルでテレビを観ていたときでした、


たまたまつけたチャンネルの某番組で、
東京のキーステーションから各地方局に呼びかけて中継をつないでいたのです。

「○○テレビの●●さーん」

すると、画面が切り替わり、リポーター(その局のアナウンサー)が出てきて、


「はい!○○テレビの●●です!」


ちなみにテレビですから、「○○テレビ ●●●●」って
ご丁寧に字幕テロップもついているわけで・・・


・・・はい、分かっています。
そんな細かいことを視聴者は気にしていないよって(笑)。


自分の県内でのリポートと滅多にない全国中継とでは
その意味合いや大きさ、認知度が異なるのも十分理解しています。
そもそも、先輩からのアドバイスが絶対の正解でもないので、
同業者の中にも何の問題もないではないかという人もいらっしゃるでしょう。

あくまで私自身が昔を思い出した話ということでご容赦くださいね。


ただ、自分を名乗るところから始めるというようなことは
時にイメージ先行・自己満足になってはいないか、
顧みる(省みる)いいきっかけになるのではないかと思い記しました。
by mikikasai819 | 2016-07-24 16:28 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

家庭教師をしていた頃

先日、以前家庭教師をしていた生徒から、
11月に行われる披露宴の司会をお願いされた旨をブログに書きました。
すると、「家庭教師?」「いつ?」「何を教えていたの?」という質問が
多方面から寄せられました。(私の実の妹からも。笑)

確かに。

学生時代も家庭教師や塾講師のアルバイトをしていましたが、
今回司会を依頼してくれた教え子は、
私がアナウンサーになってからの生徒です。

でも、別に話し方を教えていたわけではありません。

英語や数学や国語、時に社会も理科も教えていました。

・・・もうだいぶ前になってしまいましたが、
FM群馬を辞めたのが2002年の年末。
当時なかった単語で言えば、「パワハラ」的なストレスから体を壊してしまい、
精神的にも鬱々として決して前向きな退社とは言えませんでした。
お仕事は大好きだったし、群馬も大好きだったし、本当に残念だったけど、
リセットしてまた頑張りたいと思った26歳の私。
しかし、一度失った自信を取り戻すのは本当に大変で、
2003年の年明け、オーディションを受けようにもその書類を記入しながら
「こんな私じゃダメだ」と涙が出てしまうような、
まあ、今では本当に考えられないほどしんどい時期だったのです。

でも、いつまでも何も仕事をしないわけにもいかない。
今の自分ができること・・・得意なことは話す以外にないだろうか・・・

そんな時に思いついたのが、家庭教師の仕事でした。

大学を卒業して4年もたって、勉強らしい勉強もしていないのに、
どうやって学生を教えられるのかしら・・・と思いながらも、
元々アナウンサーじゃなかったら先生になりたかったくらい、
分かりやすく楽しく教えるという分野は自分の核となるところがありました。

新宿の某家庭教師センターに登録に行き、簡単なテストがあり、
マッチする生徒さんが見つかったら連絡をもらえるということだったのですが、
その日のうちに、「是非お願いしたい生徒さんがいます」と言われました。
それこそが、今回披露宴の司会をお願いしてくれた子です。運命ですね。
当時彼女は中学2年生。私の住まいの隣の市ということと、もう一つ、
確か、親御様からの条件が「現役大学生ではないこと」だったのです。
逆に「子供に近い年齢の大学生希望」という希望も多い中で、
社会人の人を希望しているという・・・まさにそれはぴったりでした。
しかも、私、一応、教育学部出身ということで・・・(笑)。

その後、6月になるともう1人、中学3年生の女の子も見ることになり、
(やはり家の近くで社会人の先生希望だった)
私は2人の家庭教師として2003年を過ごすことになりました。

当時、何もかもに自信を失っていた私は、必要とされていることに喜びを感じ、
独自のプリントを作ったり、中学校の教材を懸命に復習したり、
もちろん勉強以外のところでのコミュニケーションも積極的にとるようにしたり、
自分なりに2人のために一生懸命でした。
勉強の後にお母様が持ってきてくれるケーキやフルーツを頂きながら
お茶する時間も本当に楽しかったです。

(いろいろエピソードはあるけれど長くなるので割愛して・・・)

結果、2人ともに第一志望の高校に合格することに!!

「先生のおかげです」って言ってくれたけれど、私は今でも思っています。
この2人のおかげで、私も元気になれたのだ・・・と。

そうして、2人ともに、それぞれ社会人になった今でも連絡をくれて、
時々近況報告のランチや飲みをするようになっているのです。
幸せなことです。

・・・で、このたび、そのうちの1人から披露宴司会を依頼されたというわけです。

「河西先生にずっと司会をしてもらうのが夢だったんです」

私が家庭教師として初めてお邪魔した時、
「実はアナウンサーだったんだよ」と言って相当驚かせたことが昨日のようです。

その後、彼女が中学卒業と同じタイミングで私は結婚し、
こうして喋る仕事に本格的に戻ることができました。

出逢った時の私と、今の彼女の年齢はほぼ同じです。

12年という月日に感謝です。

※あ、そうそう、また披露宴が近くなったら記そうと思っていますが、
彼女のお相手は、中学時代からずーっと付き合っている彼氏さんなのです♪
当時から話にずーっと聞いていた男の子が生涯のパートナーになります。
ひとりの人とずーっと!すごいことですよね!!!これも感慨深い理由の一つです。
「とうとう!」「いよいよ!!」「ついに!!!」っていう感じで。
会えるのが今から楽しみなのです。
by mikikasai819 | 2016-06-09 23:55 | でんき(昔の出来事) | Comments(2)

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私が担当している「Bee Up!Setagaya」という番組では
毎週メッセージテーマがあります。

先週のテーマが「自転車」でした。

リスナーさんからもお便りが届きましたし、
私自身も自転車のエピソードを話しました。
自転車に乗っていて大けがをした話などは、
ええ、もう、なんだか自虐的だけど美味しいネタだったりして(苦笑)。

でも、真面目な話、自転車といって思い出したことの1つに、
私が高校生の時に使っていた「駐輪場」があります。

当時使っていた駅・・・からちょっと離れたところにある駐輪場。
そこは屋根もなく、管理人も不在で、無料で止められるスペースでした。
結構広くて、でも、手前はなかなか空いていなくて、
入口よりずっと奥の方に停めたときのことだったと思います。


駐輪場のフェンスに括りつけられた、細長い手作りの板。
見逃してしまうような場所に、消えかかった薄い文字を見つけました。

誰が取り付けたのかもわかりません。
今となっては紙だったか木だったか、素材すら思い出せません。


でも、確かにそこに、私の心をつかんで離さない言葉がありました。



ちょっとした言葉が人の心を傷つける

ちょっとした言葉が人の心をあたためる




この2行、違うのは「傷つける」と「あたためる」のところだけ。
でも、それはあまりにも大きな相違で、かつ、表裏一体で。

何気なく発した言葉で結果は変わってしまう。

当時私にとっては、そのまさに「ちょっとした言葉」に
目が釘付けになってしまったのです。

どうしてこんな駐輪場の隅にこんな板が?とも思いました。

自転車に関する標語ならまだしも、ここにある意味という点では、
なんというか、直接的なことではないからです。

でも、真面目な話、ああ、これはきっと自分の人生において
大きな意味を持つ言葉になるなと思いました。

実際、学生時代、いろいろありました。
本人は何とも思っていないであろう一言に傷つき立ち直れなかったし、
相手を心から称賛したはずが誤解され恨まれてしまったこともありました。

逆に、友達のちょっとした言葉に救われて涙腺決壊したこともあれば、
「合格発表の時に美紀が言ってくれた『おめでとう!!』って言葉が一番嬉しかった。
自分のことのようにこんなに喜んでくれるなんて」と友達に感激されたこともありました。
(この話、今も覚えているということは私も相当感激したのだと思います。)




看板との出会いから20年以上が経過し、
駐輪場を使うことは全くなくなりました。(そもそももう存在しないかも)

果たしてあの看板は幻だったのかもしれないとすら思うようになっても、
あの日駐輪場で立ち止まってしまうほどの威力があった深い言葉を
時々思い出しては、言葉を紡ぐお仕事をしています。

・・・

・・・

・・・で、この話をラジオで先週金曜日にしたわけですが、

どうやら私のスカッシュのコーチが番組を聴いてくださっていたようで、
今日のレッスンがひととおり終わった後に

「あのー、この前の駐輪場でのエピソード、もう一度あの言葉を教えてもらえますか?」と。

「え?えええ?ここで、ですか??(スタジオを1歩出るとちょっと恥ずかしい。笑)」

「PCで番組聴いていたんですけど、途中で音声が途切れちゃって、
あー、いいところなのにー!って思って。」

※インターネットでラジオを聴くとバッファ処理の時間が発生するため
音が遅くなったりブツブツ途切れたりすることもあります。


そうして、改めてスカッシュコートの入口で上記の言葉を伝えました。
コーチは「ああ、そうか、最後は【あたためる】だったんですね。
よかったです、いい言葉に出逢えて。」とおっしゃっていました。


そもそもは私の言葉ではないけれど(苦笑)、
こうやって伝わっていくのも、なんだか嬉しいことですね。

※写真はフリーのイメージ素材です。
by mikikasai819 | 2016-05-25 19:04 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

(唐突ですが)31年前の4月6日。
小学校3年生だった私は、ある同級生の家にいました。

その日は始業式。

私が通っていた小学校は2クラスしかなく1クラスが30人弱でした。
というわけで、ほぼみんな顔見知りだったのですが、
それでも仲良くなるのはやはり同じクラスになるからこそです。
1~2年生はクラス替えがなかったため、
3年生は初めてのクラス替え。初めて一緒になる子もいました。
その中にTちゃんがいました。

Tちゃんは周囲の子から比べればたいそう大人でした。
何せ、芸能人のあれこれや原宿の竹下通りについて
小学校低学年でとても詳しかったのです。
(今みたいにPCや携帯で情報がすぐ手に入る時代ではありませんよ!)
クラスでも背が高く、発育も早い子でした。

そんなTちゃんから声をかけられました。

「ねえ、今日私の誕生日なんだけど、
放課後、うちに来ない?誕生会やるから」

始業式当日です。まだ話したことない段階で、です。

「え?う、うん。いいよ」

一旦家に帰って母親には了解を得てから行ったと思いますが
それにしても驚きの展開です。
でも、今思えば、新学期初日が誕生日だなんて、
これくらいの強引さがないと誰も集まってくれませんし、
小学3年生で塾通いが盛んではなかった時代、
別にほかに何か用事があるわけでもないので
問題ないのですけどね。
(まあ、他の日に開催してもよかったとも言えるけれど)

Tちゃんの家に行くとお母さんが出迎えてくれました。
「あらー、よろしくね。うちの子と仲良くしてね」
すごい、ちゃんと準備できている。

ひとしきりお菓子を食べたりして過ごして、
夕方、そろそろ帰る時間というときに事件が起こりました。
Tちゃんがこんなことを言ったのです。



「ねぇねぇ、一人1曲ずつ歌ってー



え?




すると、Tちゃんのお母さんもノリノリで、



「何でもいいのよ。チェッカーズとか」というではありませんか。



え?えええ?




やっぱり当時のTちゃんはいわゆる「おませさん」でした。
歌番組なども全部見ていて、芸能通でした。



チェッカーズ、もちろん人気があるのはなんとなく知ってはいましたよ。
でも、歌を知っているかというと、残念ながら、
「なーみだーのー りくえーすと♪」の1フレーズだけ(笑)。

当時、トップテンやベストテンを観る習慣がなければ
知る方法はありませんでした。




どうしよう。

なんだろう、このノリは。




「何か歌ったら帰っていいよ」





えええ???
(すみません、この辺はさすがにちょっと記憶が無理矢理ですが、
子ども心に覚えているのは、歌わないと帰れないっていう強迫概念でした。苦笑)


「ごめん、歌、わからない」


当時の純粋無垢な(!?)かさいみきちゃん8歳は
9歳になりたてほやほやのTちゃんが、もはや別世界の人に見えました。



その時、Tちゃんのお母さんが



「河西さんってピアノ上手なんでしょう?
エリーゼのために、私好きなの。弾いてくれる?」

どうやらチェッカーズをあきらめたのか(汗)、
代替案としてピアノ演奏をお願いしてきました。


人前で発表会以外で弾く、しかも、いきなり・・・というのは
ハードルがたいそう高かったのですが、
何か披露しないと帰れないと恐れおののいていた私は、
Tちゃんの家のエレクトーン(いや、ピアノだったかも)の前に座り
譜面なしで「エリーゼのために」を演奏しました。
(ちょうど教室で習っていたので)



今思うと、どういう誕生会だったのでしょう(爆)。



あっ、これは決していじめではないですよ。
そういう認識ではなく、ノリがよかったTちゃん母娘に
今日仲良くなった初対面の状況ではなかなかついていけなかったという
8歳の幼い頭が混乱した日のエピソードです(笑)。


まあ、そんなわけで、4月6日が来ると、30年経った今も、
このTちゃんの家での出来事を思い出します。
多分Tちゃんは覚えていないでしょう。
(大人になってから全く会っておらず連絡先も知らないので
確認のしようがないのですが)


新学期スタート。
小学生の皆さん、友達に無茶ぶりはせず(笑)、
仲良く楽しく過ごしてね。
by mikikasai819 | 2016-04-06 19:56 | でんき(昔の出来事) | Comments(2)

3月3日はひな祭りでしたね。
女の子の節句でございます。
今日は大学時代の同級生の家にお邪魔したら、
ひな人形が飾ってありました。
友達は12月に女の子を出産したばかりで、喜びもひとしおですね。

・・・自宅にあったひな人形のことはよく覚えています。

応接間に毎年飾られたひな人形は、
当時は普通だったのかもしれないですが、
7段飾りの立派なものでした。

ちなみに今ネットで今調べたら、ひな人形ってすごくお高いのですね!!(驚愕)


アラフォーで 今更気づく ありがたみ


・・・で、当時のかさいみきちゃんは
その7段飾りをおとなしく愛でるような子では残念ながらなく(爆)、
ひな壇の裏側に入って「かくれんぼ」や「おにごっこ」などをして
弟や妹と遊んでおりました。



非常に危ないですよね。



はい、その時は、小学校低学年の時に訪れました。



ガラガラガッシャーン!!!!!



何かの拍子に段が壊れ、私はあわや下敷きになるところでした。




「何やってるんだー!!!」

ものすごい剣幕で父親に怒鳴られました。

「ごめんなさい、ごめんなさい!!!(火がついたように泣く)」

「謝ってももうダメだ!!来年からは飾らない!!!」





次の年、ひな人形は・・・ちゃんと飾られました。




お父さん、なんだかんだで優しいねって?



いいえ。





お内裏様とお雛様だけが飾られたのです。

つまり、下の6段は、私のせいでその後一切お披露目されなくなりました。





ひし餅が飾られなくなって無性に寂しかった記憶があります。(そこかい!)



いや、でも、今なら分かる。
子どものために飾った立派なひな人形をめちゃめちゃに崩されて、、
それを片付けるのがどれだけ大変なことか。



お父さん、お母さん、ごめんなさい。
もうしません。(当たり前だ!いや、私なら転んでやりかねない・・・)
by mikikasai819 | 2016-03-03 23:59 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

メリークリスマス!ですね。

クリスマスの予定、何かありますか?とスタッフに言われました。

うーん、特にない。

それじゃ、クリスマスの思い出、ありますか?って?

うーん、それならある。

私にとって、一番楽しかったクリスマスは大学生の時。
今思うと、完全に浮かれておりました(苦笑)。

ある年はチキン買ってケーキ買ってクラッカー鳴らして、
ある年はドライブして遊園地で遊んで、
ある年はプレゼントに指輪をもらって夜景を見て、
ある年はちょっと背伸びしてレストランでフレンチディナー、

バブルはとっくにはじけていたのですが、
まだそういう「THE王道」の過ごし方に憧れていた「THE女子」でした。


はぁー・・・
そんなー時代もーあったーねとー♪
中島みゆきが頭を巡ります(苦笑)。

しかし、そんな素敵な思い出たちよりも、
私がまずクリスマスといって思い出すのは
何故か1994年の12月25日でございます。


幸せなことより不幸なことの方が印象強いのかもしれません。


・・・もう21年前ですね、この日、私は国分寺駅にいました。
(超ローカル!)

当時、高校3年生。
女子高で周りには男子もおらず、残念ながら彼氏もいませんでした。
しかし、昔からの男友達はいたわけで。

なぜかこのクリスマス当日に、
その人とランチをすることになったのです。

向こうは男子高で、周りに女子がいない、彼女もいない。
同じような境遇です。

深い意味はないだろうと思いながらも、さすがになぜこの日なんだろうと、
思春期の私はあれこれ考えてしまいました。

別に普通の友達のはずだけど、
何かもしかしたら起こるのではないか!?

当時、ドラマ「あすなろ白書」にどっぷりハマってしまうような、
恋に恋する、夢見る18歳でしたからね・・・
ピュアすぎる自分がちょっと今となっては笑えますが、
あの頃は何もかも一生懸命だったのです。

ちなみにランチのことは何も覚えていません。
駅ビルのレストラン街だったのかなぁ。
大した話はしていなかったと思います。



食事も終わって、ここからが異常なほどによく覚えているのですが・・・



駅ビル1階まで降りて、駅の構内、人通りの多いところで、


「あのさー」


と真面目に切り出されました。


「うん」



「今日はありがとう」




「うん」




「俺、今からさ、」





「うん」






「有馬記念観なきゃいけないから、帰るね」






「え?」




1994年12月25日。第39回有馬記念。中山競馬場。
ナリタブライアンが強かった時・・・なのですよね。


ええ、その男友達は、別に現地に行くというわけではなく、
純粋にテレビをチェックしたかったようです。
今でこそワンセグもあればネットもありますが、当時は無理というもの。


※競馬、賭けるのは20歳になってから・・・ですね。はい。
きっと彼は純粋にレースの行方が気になったということで、
どうかそこは触れぬよう・・・。


いずれにしても、この展開から有馬記念という言葉が出てくるなんて
夢にも思っていなかった。
こんな真っ昼間に、国分寺駅でバイバーイ!と手を振る若い男女。


なんか、ほんの一瞬でもドキドキしちゃって、何を期待してたんだか。
これって、私、馬に負けたのかぁ・・・って思ったら
ふつふつと笑いが込み上げてきました。


その時駅ビルから流れてきたのが・・・
サザンオールスターズの名曲、
「クリスマスラブ(涙のあとには白い雪が降る)」。
(こういうのって耳が覚えているものですね!)

当時、丸井のクリスマスCMソングだったから間違いないです。
これがエンドレスで流れていて、
なんか、自分にスポットライトが当たっている感じの、
ひとりぼっち・・・今でいう「クリぼっち」?感が満載の、
でも、そもそも失恋じゃないから決して悲しいわけではない、
そんな不思議な時間。

クリスマスというと、どんな幸せよりもこれを一番に思い出すのであります。
逆に有馬記念と聞いても反応してしまいますね(笑)。


ああ、まったく。

こんなの、一生懸命今になって書いている自分が何やってるんだか(笑)。


ちなみに、その男友達とはその後も全く色恋沙汰にはならず、
むしろ20代のうちは彼の恋愛相談にたくさんのってあげました。ホントに。
今は2児のパパですよ。絶対この話、覚えてないだろうな(笑)。

以上、たまには伝記ジャンルでございました。
by mikikasai819 | 2015-12-25 17:34 | でんき(昔の出来事) | Comments(6)

九州に思いを馳せる

明日のお仕事が福岡であるため、今日は前泊。
博多に泊まるつもりが、実は、数日前から検索してもどこも満室で、
大袈裟ではなくビジネスホテルが全く空いていないという衝撃(涙)。
一部屋もないのです・・・。なぜ?(こういうことはよくあるらしい)
そこで、実は博多からちょっとだけ離れた街に泊まっております。
非常に快適で、むしろこういうのもアリかも。

さて、福岡空港に降り立つといつも思うことがあります。
それは大学3年生の秋の「九州ひとり旅」です。
(久しぶりに伝記ジャンル)

私は高校生のころからアナウンサーになりたくて、
大学に入ってからもその想いは強くなる一方でした。
もちろん、東京の放送局、いわゆるキー局に入りたかったです。
しかし1万人以上が応募して、たったの1~2人しか採用しない狭き門。
そこで、早い段階から、全国行脚して地方局受験をしようと思っていました。

とはいえ、私は東京生まれ東京育ち。
いわゆる生まれ故郷というものがありません。
(父は山梨出身ですが、私自身は住んだことはない)
つまり、地方局の実態を知らなかったのです。

地元ならではのCM、タレント、ローカル局制作の番組、
そもそも、チャンネル数が豊富でなければ
放送される時間帯の違う番組があったり、そもそも流れなかったり。

やっぱりこれは、実際にその土地に行って観るのが一番だ!
何より、受験するであろう県に行ったことがないなんてダメだ!
そんな思いから、放送局めぐりをすることにしたのです。
(という名目でひとり旅がしてみたかったというのもある)

今でこそインターネットが普及していますが、
当時はまだ日常的ではありませんでした。
大学の就職課には何台かパソコンが置いてあって、
使い方よく分からないままに、
確か、Netscape Navigatorとかだったような・・・。(古い)

そこで、JRの時刻表の裏側にある旅館・ホテルガイドの電話番号にかけて
(超アナログ!)
どんな宿かも分からないままに予約し、向かったのでした。
旅慣れていないあの頃、九州にも行ったことがない状態で、
よく親がひとり旅を許してくれたなぁと思います。

母は最後まで反対でした。

「何もわざわざ遠くまで行かなくていいじゃないの!」
「放送局をこの目で見ておきたいんだもの」
「どうして一人である必要があるのよ」
「友達をこの目的に付き合わせるわけにいかないでしょ」
「それにしたって、ひとり旅なんて危ないわよ」
「それじゃ、二人だったらいいの?彼氏と行っても怒らない?」
「そんなのダメに決まってるじゃないのよ」
「うん、それならやっぱり一人の方がまだいいよね」

我ながら、何という屁理屈をこねていたのでしょう・・・(汗)。
ホント、申し訳ないです。
でも、おかげで最高の経験ができました。

そうして、福岡に行って最初に驚いたのが
空港から地下鉄に乗ったときの電車広告に
博多弁が書いてあったこと。
うわー!!九州にキター!!!って思いました。

福岡のホテルはエスビーホテルという名前でした。
上述の通り、インターネットで調べられないので、
とりあえず安くて、それでいて安心そうなところを選んだ記憶があります。
サイトを見てみたら、老舗ビジネスホテルとして今も頑張っているのですね!
当時、調べたときはSBってアルファベット表記じゃなかったような。
ん?奇しくもソフトバンクか?(違う違う。笑)

とにかく、ここを皮切りに、長崎、熊本、鹿児島、宮崎と、
各県1日ずつ、たくさんの放送局を回りました。
(時間の関係で佐賀と大分はこの時確か行けなかった)
それこそ今は会社案内もネットで見られますが、
当時は郵送してもらうしかなかったので、
それを直接取りに行ったというようなイメージです。

「東京から来たの?まずはうちの局よりさ、
間違いなく東京の対策した方がいいよ?」
そんなことを言われたところもありました(苦笑)。
私がお世話になったアナウンスのコーチの出身県では
「番組収録観ていく?」と言っていただき貴重な経験をしたところもありました。

放送局以外でも様々な思い出がありました。

長崎では、かの有名な眼鏡橋に魅了され言葉を失い
心をつかまれてしまってしばらくそこから動けなかったり

熊本では土産物屋さんに立ち寄ったら「焼酎どう?」と声をかけられ
薦められるがままに全種類試飲したら
「全部飲んだ人は初めて!すごい!」と驚かれたり、

鹿児島では本当に通りすがりのおじいさんとのたった数分の、
でも、一生忘れられない出会いがあったり
(そのエピソードはこちら。自分で読んでも今でも泣ける。)

本当に、なんというか、九州ひとり旅は、
今の私を創りあげたと言っても過言ではないのです。

・・・とボリュームたっぷりの文章を、今、ビジネスホテルで書き上げました。
家より格段に集中できました(苦笑)。
by mikikasai819 | 2015-11-18 22:48 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

新人時代の失敗

3時間の生放送が終わりましたー。
番組の中で先日このブログでも書いた、神戸のホテルでの研修生のお話をしました。

だれにでも新人の時代があるわけで、
たくさん失敗してたくさん学びます。
逆に、新人の時にそれをしないと、後から痛い目にあいます。

許してもらえるのは最初だけ。
期待してもらえるのも最初だけ。
しっかり教えてもらえるのも最初だけ。

ちなみに、私の新人時代の超初歩的ミスは・・・
よくこれはいろいろなところで話していますが、


お便りの宛先を言えなかったこと。


入社すぐに担当した朝番組「FMフレッシュモーニング」では
男性パーソナリティーとの掛け合いだったため、
「お手紙、お葉書の方は」と男性が言った後に女性が郵便番号を言う、
同様に「FAXの方は」(番号を言う)「メールの方は」(アドレスを言う)という流れでした。
すごくテンポよく進むので、息が合っていると心地よく聞こえるはず。
宛先は毎日決まってお伝えしますので、慣れてくれば見なくても言えるものです。

それが・・・打ち合わせはできていたはずなのに、デビュー当日、
「それではお手紙、お葉書の方は?」と言われ、

「・・・・・・・・・・」

沈黙。

ヤバイ!分からない!!!
分からないなら紙に控えていけばよかったのに、それをし忘れた・・・

ラジオなので声に出さずに手振り身振りで
「すみません!!!」と全力でジェスチャーをすると
「なるほど、河西さんは宛先をまだ言えないということなので、
私が代わりに言いましょう(笑)」と
コンビを組んでいた先輩パーソナリティーが助けてくれました。

今だから笑い話ですが、いやー、あれは焦りました。

それから4年が過ぎ、FM群馬を退職するときもリスナーさんから
「新人の河西さん、当時、宛先言えなかったですよね」っていうメッセージが届き、
うわー、そういう記憶って覚えられているものなのね・・・と(苦笑)。

まあ、これはラジオパーソナリティーとしてのお話で、
ご愛嬌ということで許してもらえる範囲ですが、
ニュースアナウンサーとなると、新人も何も関係ありません。
聴いている人からしてみれば、信頼度・安定感は一定でなくてはなりません。

現場経験を積む、人一倍の努力をする、
上手な先輩の読みを盗む、臨機応変な対応を学ぶ、
でも、最終的には技術の未熟さを一生懸命さでカバーする。

ああ、もう、新人時代は遠い昔になりましたが、
時折こうして原点に返る・思い出すことは大事ですね。
by mikikasai819 | 2015-09-04 10:47 | でんき(昔の出来事) | Comments(6)
元ラジオ局アナで今はフリーで活動中、河西美紀(かさいみき)のげんき・やるき・ほんきのつぶやき。

by mikikasai819
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