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お姫様に憧れた私

手元に1枚の写真がある。
幼稚園でのおゆうぎ会。私自身のものなので35年くらい前のものだ。
年少さんのとき、おやゆび姫の劇をやった(ようだ)。←記憶があまりないが。



【あらすじ】
おやゆび姫は、チューリップの花から生まれた親指ほどの大きさしかない小さい少女。
ある日、ヒキガエルに誘拐されてしまう。魚達の助けで何とか脱出するものの、
その後、コガネムシに誘拐され、更に置き去りにされてしまう。
秋になり、親指姫はノネズミのお婆さんの許に居候すると、
隣の家の金持ちのモグラに結婚を強要される。
しかしモグラの家にいた瀕死のツバメを介抱し、
結婚式の日に親指姫はツバメと共に、花の国へ行く。
そこで親指姫は、花の国の王子様と結婚する。



・・・おぼろげに覚えている。私はお姫さまの役がやりたかった。
でも、選ばれたのはナナちゃんという可愛い女の子。

幼心に納得していた。

悲しかったのは、結果的に私が演じることになった役だった。

私は写真の中央で男の子2人と一緒に満面の笑みで写っている。
頭につけている絵は「モグラ」である。

そう、私はなぜか「モグラ」役だったのだ。

ほかにも「ツバメ」とかあるのに、どうして「モグラ」?
金持ちのモグラは別にいたので、
私はおそらく子供のモグラ、または近所のモグラといったところだろう。
今でこそサバサバと男っぽいところも持ち合わせているが、
当時は純粋にお姫様になりたいような子で、
モグラを受け入れるだけの気持ちを持ち合わせていなかった。
でも、演じているときの顔はニコニコ。
集合写真には悲しそうな悔しそうな顔でブスッとしていた。

・・・

・・・

・・・お姫様になるチャンスは小学校4年生の時にもやってきた。
「森は生きている」という劇だった。



【あらすじ】
新しい年を迎える大晦日、わがままな14歳の女王(姫)が、
四月に咲くマツユキ草がほしいと言い出したために、国中は大さわぎ。
ごほうびの金貨に目がくらむ継母のいいつけで、
マツユキ草を採ってくるようにと一人の娘が真っ暗な森に追いやられる。
そこでは十二月の精たちがたき火を囲んで新年の儀式の最中。
娘の話を聞いた四月の精は、他の月たちに頼んで一時間だけ「時」をゆずってもらった。
娘はマツユキ草を手に入れたが、それを渡された女王は
自らマツユキ草を摘むために吹雪の森へと出かける。
しかし、そこで待ちうけていたものは…。



オーディションが行われ、先生が配役を決めるという形だった。
私はこの時もお姫様に憧れた。
今思えばこの物語においては姫を志願するような内容ではないと思うのだが
とにかく他の役は考えられなかった。
どんなオーディションだったか内容は覚えていないが、姫を希望していたことは覚えている。
それなのに、蓋をあけたら

「河西さんはの役です。おめでとう」と言われた。

「ええええ!!!???」

娘・・・この物語では主役だ。そう、私は主役に選ばれていた。


ごめん、ちっとも嬉しくない!!!(涙)

今ならこの栄誉を心から喜ぶし、実際に娘役を演じられた経験はとてもよかったのだが、
当時は姫がやりたい私にとって薄汚いみすぼらしい格好の娘を演じることは
決まった瞬間、ちっとも幸せではなかったのだ。

どうして?もし、演技を認めていただけたのなら、姫がやりたいのじゃ!!!
(ショックのあまり語尾おかしいぞ)
しかし、叶わなかった。

何がそんなにお姫様に惹かれる要因?

多分、衣装だったのだろうと思う。
日頃絶対に着ないようなドレスを着てみたかったんだ、きっと。

さらにその後、だいぶ時間は経ち、
結婚式でカラードレスを着るチャンスはあったのだが、
これが、いざ試着の時に気づいてしまった。


「実は似合わない・・・(爆)」。


結局、披露宴では白のドレスのみにした。
花嫁にはなったけれど、姫のようにはならなかった(笑)。
ちなみにお姫様抱っこという芸当もありえなかった。
(夫)「力がないから無理だよ」
(私)「そうだね。怖いからいいです」と危機回避(笑)。

そんな私も、以前2年4か月在籍した仕事場の晩年、
ある女性スタッフに「姫」と呼ばれていたことがある。
なぜかは分からない。別に姫のような振る舞いもしていないけれど。
ナレーションだと前面に出ることが多いからかな。
姫、ああ、私が以前憧れた響きだったなと思った記憶がある。
それももう10年以上前の話になった。


・・・この話、どこにオチを持っていくの?(大汗)

と、とにかく、姫に憧れていた過去があるという、そのことを、
幼稚園のおゆうぎ会の写真が思い出させてくれたということ。
そして、モグラをやっているときの気持ち、これ、5歳なんだけど、
案外、覚えているものだなぁということ・・・。
笑っているけれど、心では泣いていたんだね・・・。

by mikikasai819 | 2017-10-19 01:11 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

一声入魂から10年

決しておめでたい話ではなく記念日という感覚ではないのですが
きっとこの先も忘れられないのが、10年前の7月10日の出来事です。

それは、当時担当していたお仕事の契約終了日でした。

私は2005年の3月から2007年の7月10日まで、
J-SPORTS(前身はスポーツ・アイ)の「速報!スポーツTV」という携帯サイトで
プロ野球の試合結果を読むナレーションをしていました。

サイトは立ち上げからのスタートだったので、思い入れはひとしおです。
ここで出会った仲間たち(最近ご無沙汰の人も元気なのかなぁ)、
ここから派生したお仕事(本当に感謝しています!)、
間違いなく今の私を形成しています。

あれから10年経ったことがちょっと信じられない気もします。
でも、記録に残した当時のブログを見たら、非常に懐かしくなりました。
やはり書いておくものですね。
ああ、10年前の今頃、号泣していたのかー、熱唱していたのかーって。
そして、10年後も私、喋るお仕事、していますよ。

あの日の記述はこちら

久しぶりに当時の思い出話がしたいものです。
それにしても、10年・・・かぁ。

※写真は、スタッフがみんなで寄せ書きしてプレゼントしてくれたボールです。
一球入魂ならぬ「一声入魂」の文字。
ずっと大切に飾ってあるのですが、今日久しぶりに、しっかりと手に握りました。
私の宝物です。
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by mikikasai819 | 2017-07-10 23:59 | でんき(昔の出来事) | Comments(2)

スタージェットへの想い(私とTDL)

最近めっきり行かなくなってしまった東京ディズニーランドですが、
その昔、本当によく行きました。

小学生の時は家族や家族ぐるみで親しい友達グループと。
中学生や高校生の時は同級生と。
大学時代は彼氏とのデートで。(最高の思い出も最悪の思い出も。笑)
社会人になってからは、なんと取材で!
(プーさんのハニーハントができたとき、私、当時群馬から一人で上京しましたから。
テレビのアナウンサーがカメラの前で撮影しているとき、
ラジオなので機材を片手に一人で取材していましたよ(笑)。)

とにかく、昔はディズニーランドに相当行きました。
(まあ、考えてみれば、遊園地オタクだった時代もあるし。)

・・・と、いろいろある中で、実はさかのぼると
1983年4月のグランドオープンの直前に
私、パーク内に行っているのです!!
今日はこの時のお話。

どうしてそういうことができたかイマイチわからないのですが、
両親がオープン前のプレチケットを入手することができたようで、
家族で車で行きました。貴重な機会です。

どうやらディズニーランドというものができるらしい、すごいらしい。

当時小学校1年生でしたから、まだどれだけすごいかは分かりませんでした。
でも、多分、西武園ゆうえんちとは違うだろうと、思っていたのです。
(すみません、西武園大好きなのですが、
家から近かったので子供のころあまりに行きすぎて
ここが基準になってしまっていたもので、わざとこういう表現です。)

到着して、東京ディズニーランド、最初の印象。

混んでいる。

6歳の私の感想はひたすら「人がいっぱいいる」でした。

当然、乗り物も楽しみにしていったのですが、
あまりの人でどのアトラクションも大行列。
まだグランドオープン前のはずなのに。
下手すると、何も乗れないまま帰ることになりそうな、
大袈裟ではなくそんな大混雑でした。(子供だから余計にそう思う)

そして、親から「あれなら乗れるよ」と言われたのが
スタージェットだったのです。

えー、あれ、西武園にもある!!(涙)

よく比較すれば乗り場も背景も違うのですが、
当時、飛行機でグルグル旋回するものは乗ったことがあったので、
正直ちっとも新鮮ではなかったわけです。

本当にそれはショックでした。
もっともっとディズニーの雰囲気全開を期待していたのに。

もう1つ乗れたのもキャッスルカルーセル。
これ、カルーセルっていうけど、メリーゴーラウンドだよー!(涙)
つまらないー!!!(今ならむしろ優雅に乗りたい)

というわけで、グランドオープン時に乗れたアトラクションは
いつもの西武園と変わらない2つのみ。
(西武園さん、ホントすみません、大好きです)

というわけで、スタージェットの思い出といったら、
そんな子供のころのガッカリした気分が一番に思い浮かぶのです。

・・・
・・・
・・・

今日、そのスタージェットが今年の10月10日をもって
クローズすると発表されました。

走馬灯のようにこのときの気持ちがよみがえりました。
ごめん、スタージェット。

始まるときに乗ったんだから、終わるときも乗りたいな。
純粋にそう思いました。

1983年の当時「もっと違うものに乗りたかった!」という残念な気持ちではなく、
2017年の今、「最後に乗れてよかった!」と思えるフライトにしたいなと。

もう何年も行ってないけれど、これだけ乗るためにというのもいいのではないかと。

ふと、そんな風に、思ったのでした。
by mikikasai819 | 2017-07-05 17:47 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

滑れないけど格好良さげなスノーインフォメーション

昨日の生放送のメッセージテーマは「ウィンタースポーツ」がテーマでした。
私はそこで「湾岸スキーヤー/少年隊」を流して、
自分のスキーのエピソードをお話しました。
番組スタッフには大いに笑われましたので、ブログに記しておこうと思います。

・・・スキーというスポーツ、私には本当に縁のないものです。
残念ながら、その縁は自ら遠ざけてきました。

「私をスキーに連れてって」に感化されたバブル世代ではありませんが
それでも周囲にはスキーが好きな人が多くいました。
子供の頃から一度もゲレンデに行ったことがなかった私は
颯爽と滑る姿になるまでには相当大変で、転んだら骨折する・・・というような
相当なネガティブイメージがありました。

始めるきっかけはいくらでもあったのです。

①高校3年の冬は幼なじみの男の子からスキーに誘われました。
彼は男子校だったので、女子校の私に周りの友達を連れてきてくれと
まあ、そういう魂胆があったのだと思います(笑)。

「ごめん、無理」
「え?どうして?」
「スキーは無理。できない。」
「大丈夫だって!教えてあげるからさ!」
「いいよいいよ、私に気にせず滑ってきてよ」
「一緒に行こうって言ってるのに!」
「とにかく、ごめん。スキーだけはパスさせて!お願い!」

※「キャー、滑れない!こわいぃぃー!!」と可愛い声をあげながら
手取り足取り教えてもらった方が青春の思い出になっただろう・・・。
でも、やっぱり怖くて無理だった。

②大学2年の冬、アルバイト先の仲間でスキーに行く話が持ち上がりました。

「ごめん、無理」
「え?どうして?」
「スキーしたことない」
「大丈夫だよー、私も今回スキーデビューするから!」
「いや、あのー、怪我するの嫌でさぁ」
「大丈夫だってー。一緒に行こうよ」
「河西、ホント行かないの?」
「ごめん、スキー以外なら参加するから!」

※どんなイベントでも前向きな私がこれだけは頑なに断り続けた。
結局、行けなかった先輩とカラオケに行き歌いまくった(笑)。

③社会人2年目、大学時代の友達(スキーサークル所属)に教えてもらうことになりました。

「おー、スキーとうとうやる気になったの!」
「うん、群馬に就職したんだし、スキー場いっぱいあるし、何事も経験だよね」
「わかった。それじゃ、次の週末車で前橋まで迎えに行くから。」
「よろしくね!!」

スキーウェアは会社の先輩が全て貸してくれました。
「楽しんでおいでー!」

いざ当日。

「ごめん、これじゃ今日は無理だ」

私のセリフではありませんよ。友達のセリフです。

なんと、大雪により関越自動車道通行止め!
そもそもの問題、東京から友達が来られなくなりました。

「えー!!!」

せっかく覚悟を決めたのに、ウェアも借りて準備万全だったのに。
私のスキーデビューはお預けになりました。


・・・

・・・

・・・

きっとこのまま人生でスキー場には行かないんだろうと思ったら・・・

「せっかく河西さんやる気になったんだから行きましょう!」

スキーウェアを貸してくださった会社の先輩夫婦が
連れて行って下さることになりました。

その年の4月1日。まあ、春スキーですね。
かたしな高原スキー場に行きました。
スキー専門のコースですよね。

河西美紀、25歳でスキーデビューを果たしました。

まずスノーブーツを右左逆に履いて混乱したところから始まりました。
(「こんなにキツいんですね」と真面目に言ったら先輩が苦笑した)

正真正銘人生初のスキーなので、ボーゲン云々の前に、リフトに乗れないわけです。
乗っても降りられない。ホントにこんなにつらいのかと。
だから、まずは歩くことから。
周囲の子供たちの視線が感じられました。

(私は今日が初めてなんだよ、君たちはもうスイスイ滑れるかもしれないけどさ!!)

そのうちハの字で下降できるところまでになりましたが、
まあ、全身に力が入っているものだから、疲れ方がハンパないわけです。
(翌日、この世のものとは思えない筋肉痛が来たことはよく覚えている)
でも、根気強く教えてくださった先輩夫婦には本当に感謝しています。

・・・

・・・

・・・というわけで、私はこの1度だけでスキー人生が終わりました。
多分、この先も行くことはないでしょう。
スポーツ全般大好きでむしろ得意だった私ですが、スキーとはご縁がありませんでした。

しかし!
冒頭に書いた「湾岸スキーヤー」の曲をバックに、
私はFM群馬時代は「スノーインフォメーション」というスキー場情報を伝えていました。

「天候晴れ」「積雪200センチ」「全面滑走可能です」

我ながら格好よく伝えていきました(笑)。

しかし、ある日、私は何も疑わず渡された情報を読んでいたら、
当時の上司に諭されました。

「河西さん、雨でパウダースノーはあり得ないよ」って。

どうやらアルバイトの子が間違えて記載したようなのですが、
スキーに疎い私はそれに気づかずそのまま読んでしまったのです。

・・・ホント、すみません(苦笑)。

とまあ、気づけばスキーの思い出を長々と書いてしまいました。



※昨日、FM世田谷のNディレクターが
番組のエンディングに、再度「湾岸スキーヤー」を流してくれて
「はい」と1枚の用紙を渡すではありませんか。
それは、世田谷と繋がりのある群馬・川場の情報!

え?FM群馬時代の再現をしろと?(興奮)

「川場スキー場、天候晴れ、全面滑走可能」

久しぶりに気持ちよくお伝えできました♪

「河西さんは全面滑走不可能だけどね」とスタッフに笑われるオチ付きでしたけどね。
by mikikasai819 | 2017-02-04 23:17 | でんき(昔の出来事) | Comments(2)

去年のクリスマスに話した昔のクリスマスのこと

今日は都立上水高校のクリスマス会でした。
その中で、

「クリスマスはどうやって過ごす?」
「どうせクリぼっち」

このような会話がたくさん出てきて
高校時代の自分はどうだったかなーと思い返していたら、

去年ブログにアップしたエピソードをまた思い出してしまった・・・(苦笑)。

「あの話、ウケたわー」と複数から言われたので
読んでいない方、下のタイトルをクリック!

あの年のクリスマス、私より大切だったのは・・・





※クリスマスイブ&クリスマス当日、夫婦そろってまとまった時間ができたので
列車に乗ってふらーっと旅に出てまいります!
クリスマスらしさは3割あるかないかっていう、内容もまだこれから決めるという、
まあ、気ままな感じで。
by mikikasai819 | 2016-12-23 21:27 | でんき(昔の出来事) | Comments(2)

リポーターが名乗る必要性

名古屋での仕事を終えて昨夜は宿泊し、
今朝のAM7:24の新幹線で東京に戻り、午前中は大手町で司会でした。
昼過ぎに終わってご飯を食べて、かなり久しぶりにインターネットカフェに来ています。
本来、PCはこうでなくちゃ。
サクサク気持ちよく動くことがうれしくて、
ついついキーボードを打つ手も速まります(笑)。


さて、今日は自分の昔の体験を踏まえて、ちょっと気になったことを書きますね。


・・・私はFM群馬時代、リポーターとして県内各地に赴きました。
生放送中に中継を入れる、それはまさにLIVEの醍醐味です。
インタビューしたり、体当たりで何かを体験したり。
ラジオですからイメージを膨らませるための実況、さらには音をとることも忘れずに。

もちろん、新人のころは今思えばひどいリポートでした。
元気がとりえ!というような、勢いだけでがんばっていたときもあります(苦笑)。
でも、日々学べる場でもありました。


そんな中、ある日、先輩アナウンサーに指摘を受けました。
まったくもってそのとおりだ!と腑に落ちる内容で、
以来、忠実に守って来たことがあります。

それは、

相手から呼びかけられたときはわざわざ改めて名乗らないということ。



スタジオにいるアナウンサー
「今日のリポーターは河西美紀アナウンサーです。河西さーん!」


「はいっ、河西です!」


何もおかしいところはないように思いますね。
私もそうでした。
むしろ、こういう始まり方こそTHEリポート、THE中継♪だと思っていました。



先輩からはこう言われました。



「河西さんのことはこちら(スタジオ)で紹介してさらに呼びかけているんだから、
名前はもうリスナーには伝わっているよね。
決まり事のように連呼する必要はないんじゃないかな。むしろしつこく感じると思う。」




確かに!!!目からうろこ。



・・・いや、当時の私はそのとおりと100%思えないところもあったかもしれません。
名前を覚えて欲しくて、自分をアピールしたい気持ちもゼロではなくて。
個人的には大いに若気の至りですが(照)
若くなくても自分大好きな人がこの仕事に就きやすいので(爆)
こういう気持ちは分からなくもないですよ!
でも、今のわたしは「私が、私が!」という人間では決してないですし、
性格云々を置いておいて、先輩の指摘はごもっともだなと心から思えます。

注:スタジオから呼びかけがない場合は別です。
いったい誰がしゃべっているのかわからないのは逆に不親切ですからね。
その場合はちゃんと名乗ります。


・・・

・・・

・・・長々と書きましたが、そんなことを思い出すきっかけは、
実は今朝、名古屋のホテルでテレビを観ていたときでした、


たまたまつけたチャンネルの某番組で、
東京のキーステーションから各地方局に呼びかけて中継をつないでいたのです。

「○○テレビの●●さーん」

すると、画面が切り替わり、リポーター(その局のアナウンサー)が出てきて、


「はい!○○テレビの●●です!」


ちなみにテレビですから、「○○テレビ ●●●●」って
ご丁寧に字幕テロップもついているわけで・・・


・・・はい、分かっています。
そんな細かいことを視聴者は気にしていないよって(笑)。


自分の県内でのリポートと滅多にない全国中継とでは
その意味合いや大きさ、認知度が異なるのも十分理解しています。
そもそも、先輩からのアドバイスが絶対の正解でもないので、
同業者の中にも何の問題もないではないかという人もいらっしゃるでしょう。

あくまで私自身が昔を思い出した話ということでご容赦くださいね。


ただ、自分を名乗るところから始めるというようなことは
時にイメージ先行・自己満足になってはいないか、
顧みる(省みる)いいきっかけになるのではないかと思い記しました。
by mikikasai819 | 2016-07-24 16:28 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

家庭教師をしていた頃

先日、以前家庭教師をしていた生徒から、
11月に行われる披露宴の司会をお願いされた旨をブログに書きました。
すると、「家庭教師?」「いつ?」「何を教えていたの?」という質問が
多方面から寄せられました。(私の実の妹からも。笑)

確かに。

学生時代も家庭教師や塾講師のアルバイトをしていましたが、
今回司会を依頼してくれた教え子は、
私がアナウンサーになってからの生徒です。

でも、別に話し方を教えていたわけではありません。

英語や数学や国語、時に社会も理科も教えていました。

・・・もうだいぶ前になってしまいましたが、
FM群馬を辞めたのが2002年の年末。
当時なかった単語で言えば、「パワハラ」的なストレスから体を壊してしまい、
精神的にも鬱々として決して前向きな退社とは言えませんでした。
お仕事は大好きだったし、群馬も大好きだったし、本当に残念だったけど、
リセットしてまた頑張りたいと思った26歳の私。
しかし、一度失った自信を取り戻すのは本当に大変で、
2003年の年明け、オーディションを受けようにもその書類を記入しながら
「こんな私じゃダメだ」と涙が出てしまうような、
まあ、今では本当に考えられないほどしんどい時期だったのです。

でも、いつまでも何も仕事をしないわけにもいかない。
今の自分ができること・・・得意なことは話す以外にないだろうか・・・

そんな時に思いついたのが、家庭教師の仕事でした。

大学を卒業して4年もたって、勉強らしい勉強もしていないのに、
どうやって学生を教えられるのかしら・・・と思いながらも、
元々アナウンサーじゃなかったら先生になりたかったくらい、
分かりやすく楽しく教えるという分野は自分の核となるところがありました。

新宿の某家庭教師センターに登録に行き、簡単なテストがあり、
マッチする生徒さんが見つかったら連絡をもらえるということだったのですが、
その日のうちに、「是非お願いしたい生徒さんがいます」と言われました。
それこそが、今回披露宴の司会をお願いしてくれた子です。運命ですね。
当時彼女は中学2年生。私の住まいの隣の市ということと、もう一つ、
確か、親御様からの条件が「現役大学生ではないこと」だったのです。
逆に「子供に近い年齢の大学生希望」という希望も多い中で、
社会人の人を希望しているという・・・まさにそれはぴったりでした。
しかも、私、一応、教育学部出身ということで・・・(笑)。

その後、6月になるともう1人、中学3年生の女の子も見ることになり、
(やはり家の近くで社会人の先生希望だった)
私は2人の家庭教師として2003年を過ごすことになりました。

当時、何もかもに自信を失っていた私は、必要とされていることに喜びを感じ、
独自のプリントを作ったり、中学校の教材を懸命に復習したり、
もちろん勉強以外のところでのコミュニケーションも積極的にとるようにしたり、
自分なりに2人のために一生懸命でした。
勉強の後にお母様が持ってきてくれるケーキやフルーツを頂きながら
お茶する時間も本当に楽しかったです。

(いろいろエピソードはあるけれど長くなるので割愛して・・・)

結果、2人ともに第一志望の高校に合格することに!!

「先生のおかげです」って言ってくれたけれど、私は今でも思っています。
この2人のおかげで、私も元気になれたのだ・・・と。

そうして、2人ともに、それぞれ社会人になった今でも連絡をくれて、
時々近況報告のランチや飲みをするようになっているのです。
幸せなことです。

・・・で、このたび、そのうちの1人から披露宴司会を依頼されたというわけです。

「河西先生にずっと司会をしてもらうのが夢だったんです」

私が家庭教師として初めてお邪魔した時、
「実はアナウンサーだったんだよ」と言って相当驚かせたことが昨日のようです。

その後、彼女が中学卒業と同じタイミングで私は結婚し、
こうして喋る仕事に本格的に戻ることができました。

出逢った時の私と、今の彼女の年齢はほぼ同じです。

12年という月日に感謝です。

※あ、そうそう、また披露宴が近くなったら記そうと思っていますが、
彼女のお相手は、中学時代からずーっと付き合っている彼氏さんなのです♪
当時から話にずーっと聞いていた男の子が生涯のパートナーになります。
ひとりの人とずーっと!すごいことですよね!!!これも感慨深い理由の一つです。
「とうとう!」「いよいよ!!」「ついに!!!」っていう感じで。
会えるのが今から楽しみなのです。
by mikikasai819 | 2016-06-09 23:55 | でんき(昔の出来事) | Comments(2)

あの言葉、もう一度教えてほしい

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私が担当している「Bee Up!Setagaya」という番組では
毎週メッセージテーマがあります。

先週のテーマが「自転車」でした。

リスナーさんからもお便りが届きましたし、
私自身も自転車のエピソードを話しました。
自転車に乗っていて大けがをした話などは、
ええ、もう、なんだか自虐的だけど美味しいネタだったりして(苦笑)。

でも、真面目な話、自転車といって思い出したことの1つに、
私が高校生の時に使っていた「駐輪場」があります。

当時使っていた駅・・・からちょっと離れたところにある駐輪場。
そこは屋根もなく、管理人も不在で、無料で止められるスペースでした。
結構広くて、でも、手前はなかなか空いていなくて、
入口よりずっと奥の方に停めたときのことだったと思います。


駐輪場のフェンスに括りつけられた、細長い手作りの板。
見逃してしまうような場所に、消えかかった薄い文字を見つけました。

誰が取り付けたのかもわかりません。
今となっては紙だったか木だったか、素材すら思い出せません。


でも、確かにそこに、私の心をつかんで離さない言葉がありました。



ちょっとした言葉が人の心を傷つける

ちょっとした言葉が人の心をあたためる




この2行、違うのは「傷つける」と「あたためる」のところだけ。
でも、それはあまりにも大きな相違で、かつ、表裏一体で。

何気なく発した言葉で結果は変わってしまう。

当時私にとっては、そのまさに「ちょっとした言葉」に
目が釘付けになってしまったのです。

どうしてこんな駐輪場の隅にこんな板が?とも思いました。

自転車に関する標語ならまだしも、ここにある意味という点では、
なんというか、直接的なことではないからです。

でも、真面目な話、ああ、これはきっと自分の人生において
大きな意味を持つ言葉になるなと思いました。

実際、学生時代、いろいろありました。
本人は何とも思っていないであろう一言に傷つき立ち直れなかったし、
相手を心から称賛したはずが誤解され恨まれてしまったこともありました。

逆に、友達のちょっとした言葉に救われて涙腺決壊したこともあれば、
「合格発表の時に美紀が言ってくれた『おめでとう!!』って言葉が一番嬉しかった。
自分のことのようにこんなに喜んでくれるなんて」と友達に感激されたこともありました。
(この話、今も覚えているということは私も相当感激したのだと思います。)




看板との出会いから20年以上が経過し、
駐輪場を使うことは全くなくなりました。(そもそももう存在しないかも)

果たしてあの看板は幻だったのかもしれないとすら思うようになっても、
あの日駐輪場で立ち止まってしまうほどの威力があった深い言葉を
時々思い出しては、言葉を紡ぐお仕事をしています。

・・・

・・・

・・・で、この話をラジオで先週金曜日にしたわけですが、

どうやら私のスカッシュのコーチが番組を聴いてくださっていたようで、
今日のレッスンがひととおり終わった後に

「あのー、この前の駐輪場でのエピソード、もう一度あの言葉を教えてもらえますか?」と。

「え?えええ?ここで、ですか??(スタジオを1歩出るとちょっと恥ずかしい。笑)」

「PCで番組聴いていたんですけど、途中で音声が途切れちゃって、
あー、いいところなのにー!って思って。」

※インターネットでラジオを聴くとバッファ処理の時間が発生するため
音が遅くなったりブツブツ途切れたりすることもあります。


そうして、改めてスカッシュコートの入口で上記の言葉を伝えました。
コーチは「ああ、そうか、最後は【あたためる】だったんですね。
よかったです、いい言葉に出逢えて。」とおっしゃっていました。


そもそもは私の言葉ではないけれど(苦笑)、
こうやって伝わっていくのも、なんだか嬉しいことですね。

※写真はフリーのイメージ素材です。
by mikikasai819 | 2016-05-25 19:04 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

4月6日はあの子の誕生日

(唐突ですが)31年前の4月6日。
小学校3年生だった私は、ある同級生の家にいました。

その日は始業式。

私が通っていた小学校は2クラスしかなく1クラスが30人弱でした。
というわけで、ほぼみんな顔見知りだったのですが、
それでも仲良くなるのはやはり同じクラスになるからこそです。
1~2年生はクラス替えがなかったため、
3年生は初めてのクラス替え。初めて一緒になる子もいました。
その中にTちゃんがいました。

Tちゃんは周囲の子から比べればたいそう大人でした。
何せ、芸能人のあれこれや原宿の竹下通りについて
小学校低学年でとても詳しかったのです。
(今みたいにPCや携帯で情報がすぐ手に入る時代ではありませんよ!)
クラスでも背が高く、発育も早い子でした。

そんなTちゃんから声をかけられました。

「ねえ、今日私の誕生日なんだけど、
放課後、うちに来ない?誕生会やるから」

始業式当日です。まだ話したことない段階で、です。

「え?う、うん。いいよ」

一旦家に帰って母親には了解を得てから行ったと思いますが
それにしても驚きの展開です。
でも、今思えば、新学期初日が誕生日だなんて、
これくらいの強引さがないと誰も集まってくれませんし、
小学3年生で塾通いが盛んではなかった時代、
別にほかに何か用事があるわけでもないので
問題ないのですけどね。
(まあ、他の日に開催してもよかったとも言えるけれど)

Tちゃんの家に行くとお母さんが出迎えてくれました。
「あらー、よろしくね。うちの子と仲良くしてね」
すごい、ちゃんと準備できている。

ひとしきりお菓子を食べたりして過ごして、
夕方、そろそろ帰る時間というときに事件が起こりました。
Tちゃんがこんなことを言ったのです。



「ねぇねぇ、一人1曲ずつ歌ってー



え?




すると、Tちゃんのお母さんもノリノリで、



「何でもいいのよ。チェッカーズとか」というではありませんか。



え?えええ?




やっぱり当時のTちゃんはいわゆる「おませさん」でした。
歌番組なども全部見ていて、芸能通でした。



チェッカーズ、もちろん人気があるのはなんとなく知ってはいましたよ。
でも、歌を知っているかというと、残念ながら、
「なーみだーのー りくえーすと♪」の1フレーズだけ(笑)。

当時、トップテンやベストテンを観る習慣がなければ
知る方法はありませんでした。




どうしよう。

なんだろう、このノリは。




「何か歌ったら帰っていいよ」





えええ???
(すみません、この辺はさすがにちょっと記憶が無理矢理ですが、
子ども心に覚えているのは、歌わないと帰れないっていう強迫概念でした。苦笑)


「ごめん、歌、わからない」


当時の純粋無垢な(!?)かさいみきちゃん8歳は
9歳になりたてほやほやのTちゃんが、もはや別世界の人に見えました。



その時、Tちゃんのお母さんが



「河西さんってピアノ上手なんでしょう?
エリーゼのために、私好きなの。弾いてくれる?」

どうやらチェッカーズをあきらめたのか(汗)、
代替案としてピアノ演奏をお願いしてきました。


人前で発表会以外で弾く、しかも、いきなり・・・というのは
ハードルがたいそう高かったのですが、
何か披露しないと帰れないと恐れおののいていた私は、
Tちゃんの家のエレクトーン(いや、ピアノだったかも)の前に座り
譜面なしで「エリーゼのために」を演奏しました。
(ちょうど教室で習っていたので)



今思うと、どういう誕生会だったのでしょう(爆)。



あっ、これは決していじめではないですよ。
そういう認識ではなく、ノリがよかったTちゃん母娘に
今日仲良くなった初対面の状況ではなかなかついていけなかったという
8歳の幼い頭が混乱した日のエピソードです(笑)。


まあ、そんなわけで、4月6日が来ると、30年経った今も、
このTちゃんの家での出来事を思い出します。
多分Tちゃんは覚えていないでしょう。
(大人になってから全く会っておらず連絡先も知らないので
確認のしようがないのですが)


新学期スタート。
小学生の皆さん、友達に無茶ぶりはせず(笑)、
仲良く楽しく過ごしてね。
by mikikasai819 | 2016-04-06 19:56 | でんき(昔の出来事) | Comments(2)

ひな人形、飾ってもらえなくなった事件

3月3日はひな祭りでしたね。
女の子の節句でございます。
今日は大学時代の同級生の家にお邪魔したら、
ひな人形が飾ってありました。
友達は12月に女の子を出産したばかりで、喜びもひとしおですね。

・・・自宅にあったひな人形のことはよく覚えています。

応接間に毎年飾られたひな人形は、
当時は普通だったのかもしれないですが、
7段飾りの立派なものでした。

ちなみに今ネットで今調べたら、ひな人形ってすごくお高いのですね!!(驚愕)


アラフォーで 今更気づく ありがたみ


・・・で、当時のかさいみきちゃんは
その7段飾りをおとなしく愛でるような子では残念ながらなく(爆)、
ひな壇の裏側に入って「かくれんぼ」や「おにごっこ」などをして
弟や妹と遊んでおりました。



非常に危ないですよね。



はい、その時は、小学校低学年の時に訪れました。



ガラガラガッシャーン!!!!!



何かの拍子に段が壊れ、私はあわや下敷きになるところでした。




「何やってるんだー!!!」

ものすごい剣幕で父親に怒鳴られました。

「ごめんなさい、ごめんなさい!!!(火がついたように泣く)」

「謝ってももうダメだ!!来年からは飾らない!!!」





次の年、ひな人形は・・・ちゃんと飾られました。




お父さん、なんだかんだで優しいねって?



いいえ。





お内裏様とお雛様だけが飾られたのです。

つまり、下の6段は、私のせいでその後一切お披露目されなくなりました。





ひし餅が飾られなくなって無性に寂しかった記憶があります。(そこかい!)



いや、でも、今なら分かる。
子どものために飾った立派なひな人形をめちゃめちゃに崩されて、、
それを片付けるのがどれだけ大変なことか。



お父さん、お母さん、ごめんなさい。
もうしません。(当たり前だ!いや、私なら転んでやりかねない・・・)
by mikikasai819 | 2016-03-03 23:59 | でんき(昔の出来事) | Comments(0)

元ラジオ局アナで今はフリーで活動中、河西美紀(かさいみき)のげんき・やるき・ほんきのつぶやき。


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