祖父との別れを記すVol.4「通夜」

雨の中、祖父の四十九日法要が終わりました。
これもひとつの区切りと思い、葬儀前後の想いを記したものをUPしています。
(もともとは、既に書き上げていた)
長文だけど、自分のための文章なので、カットはしません。

通夜の描写など重いものはちょっと・・・という方はスルーしてください。

☆☆☆

5月8日。この日はエフエム世田谷の生放送の日。
通夜・告別式が週末になったので、番組は普通に担当できる。
私にとってはキツイ日だが、リスナーの皆さんにとっては日常なのだ。気合を入れて臨んだ。
基本、大丈夫だったのだが、1箇所、
担当ディレクターが何気なく選んだ「涙そうそう」が流れた瞬間、危なく泣きそうになった。

この日は、人生初めてこの歳で喪服を買った。
移動中の電車で「おじいちゃん」とつぶやくと、
それがスイッチになってツーッと涙が滴り落ちた。
絶対、同じ車両の人はギョッとしていたことだろう。でも、正直、コントロール不能だった。

家に帰って、私は、ある決意をした。
それは、今の自分の気持ちを、おじいちゃんに聞かせたいということ。
手紙でもいいけれど、せっかくだから、喋って残しておこう。
録音機能のついたデッキを持ってきて、ノンストップで、行けるところまで語りかけた。
40分の私の言葉をCDに焼いて、これを棺に入れることにした。
しかし、後に、棺には燃えにくいものは入れられないということを思い出した(苦笑)。

☆☆☆

5月9日。とうとう、通夜。
会場に行って、看板を見た瞬間、涙が出た。
遺影の写真が、私と妹が推薦していたものに決まっていた。
もっと若い頃の笑顔の写真の方がいいという意見もあったのだが、
きょとんとした表情でも晩年の優しいおじいちゃんの顔のほうがいいと思っていた。
こっちにしてよかったと、無意識に何度もつぶやいている自分がいた。

通夜が始まると、お焼香をあげてくださる弔問客に親族として挨拶をする。
何度頭を下げただろう。想像をはるかに超えるものすごい数。
商店街でお世話になった懐かしい人たちの姿は、古きよき時代を思わせた。
祖父は税関係のお仕事にも従事していたので、
税務署や青色申告会の関係者の方もたくさん来てくださった。
自治会の副会長もしていたので、地域の方も多かった。
現役を引退した91歳にも関わらず、こんなにも多くの人が来てくれるなんて。
私は最初こそ泣いていたが、途中から常に祭壇の写真に向かって
「おじいちゃん、すごいじゃん!」と語りかけていた。本当に、孫としてうれしかった。

お経をあげてくださったお坊さんが、こんなことをおっしゃった。
「若いお孫さんが、大粒の涙を流している。
普通なら、91歳ならおじいちゃんよかったね、というような雰囲気があってもいいくらいのものを、
心からみんな哀しんでいる。それは、おじいちゃんの人柄であり、
これだけ想われているおじいちゃんは本当に幸せ者だ」。

そうなんだよ、本当にそういう気持ちなんだよ。
心の中を代弁してもらったようで、救われた。

会食を済ませ、みんな一旦帰宅。
祖父の近くに一晩一緒にいる大事な役は、私と弟と妹、そして母の4人。

実は、私たち孫が志願したのだった。

3人ともに結婚して家を出ているから、こんな機会はめったにない。
多分、今後も容易にはないだろう。ある意味、祖父に感謝かもしれない。
4人で布団を並べて寝た。
もちろん、寝付くことはなかなかできず、深夜遅くまで棺のそばで妹と2人で語り合った。
「明日なんて来なければいいのに」「明日が怖い」「あと○時間だ」
子どもみたいなことを言っているようだが、初めての体験となるとこういうものなのか。
そう、明日こそ、本当にお別れなのだ。おじいちゃん、まだ信じられないよ。

続く
by mikikasai819 | 2009-06-21 23:57 | にっき(日々の出来事) | Comments(0)

元ラジオ局アナで今はフリーで活動中、河西美紀(かさいみき)のげんき・やるき・ほんきのつぶやき。


by mikikasai819